第846話 モルソバーンにて 其の二
「アーべラインの者とは、多少の齟齬はあったが、お互いの状況を把握はできた。
今現在、大凡の制圧が済み次第、本館の使用人に対して、公爵閣下直々のお調べを行う。
それに付き従う者を選出しろ。」
多少の齟齬とやらで、今も館の中から盛大な破壊音が続いていた。
パトリッシュとユベルが戻っていないので、その多少の齟齬を埋める作業をしているのだろう。
私は地面に下ろしてもらうと、荷駄の墓守り達に再び目を向けた。
花が咲いた。
テトは私の側に来ると、辺りを用心深く見回している。
どうして、今、咲いた?
その時、サーレルに押さえつけられていた男が吠えた。
醜い鳴き声があがると、蔦が蠢くのが見えた。
***
吠え暴れる男を、サーレルも含めて三人の兵士が押さえ込む。
鍛えた様子もない人族の男。
それが三人の大男、それも獣人が力を加えねば押さえ込めないとは異常だ。
エンリケが公爵に断りをいれると側を離れた。
荷駄の一つに近寄ると、見るからに重そうな鎖を取り出す。
鈍色の
猛獣につけるような枷は、暴れると身に刺さる棘までついていた。
それを暴れまわる男の首に嵌め、顎を掴むと無理やり口を開かせる。
付属の
そんなエンリケの動きは遅滞なく、素早い。
膝をつき両手を後ろに組ませ、仰け反る姿勢を男に取らせる。
それでも暴れようとするが、桎梏の棘が肉を抉り自由を奪う。
抵抗が弱まると、エンリケは男を蹴って地面に突き転がした。
「持っていろ」
いつも通りの淡々とした様子で、突き転がした男の拘束具から伸びる鎖を兵士の一人に渡す。
担った荷のように、後ろでの太い鎖が下げ持つのにちょうどよい具合に伸びていた。
「あぁ丁度いい具合です」
下げ持った兵士が笑顔で返す。
うむ、と頷くエンリケは涼しい顔だ。
彼等に任せると、これが簡単な事のように見えるのが怖い。
「呼んでますよ」
エンリケの絶技に見入っていると、ザムに肩を叩かれた。
カーン達が私の方を何故か見ていた。
***
寝台の上に、男が一人眠っている。
髪は長く、その殆どが白髪だ。
残る髪色から、元は漆黒の美しい色合いだった想像ができる。
骨ばった顔つきで、眉もふさふさと白い。
横になる姿からは、特に何か目を惹く事柄は見えない。
強いて言うなら、白髪ながら、その肌や顔色に老いは見えない。
古い血筋、長命種なのだろう。
「彼がアーべラインです。
事故以来、眠っているという話です。」
その傍らにて眠るアーべラインを凝視するのは、コルテス公爵だ。
彼は少し微笑んでいた。
いつもの背筋が薄ら寒くなる笑みである。
彼は深く、とても深く怒りを溜めている。
その怒りには、諦観、絶望、虚無が混じっていた。
「医者には診せたそうです。
しかし、目覚めぬ原因は不明。
どんなやぶ医者なんでしょうね。
そもそも医者なんでしょうか?
まぁその医者が言うには、頭部も無事で、外傷は見当たらない。
事故で、馬車から投げ出されたというのに。
どうやって投げ出されたんでしょうね。
彼ひとり、そう護衛はどうしたんでしょうか。
こうして一人、置かれている。
家族は死にましたしね。
彼の息子夫婦と孫も一緒に事故に遭ったそうです。
モルソバーンから、何処かへ馬車で移動する途中だったそうです。
目的地は誰も知らぬと。
笑えますよね。
そんな馬鹿な話は無いでしょうに。
発見したのは、交易の商人達だったそうです。
馬車が大破し、遺体は見分けもつかなかったと。
あぁ、長命種でも死後、直ぐに砂になるのは年寄りや天寿を全うした者です。
確実に死後、砂になるのはそうした者で、若年者や死因が毒や事故ですと死体は残るのですよ。
朽ちるのに時間がかかる場合もありますし、半分砂になる場合や骨だけ残る事もあるのです。
ですから、長命種だからと死体処理に困らないとはなりません。
それに彼を死なすと、困るでしょうしね。
えぇ、私を殺しきれていないから。
えぇ、えぇ、私が確実に死んで、コルテスを自由にできる確証が得られなければ、彼を殺して重要な事柄をすべてわからなくなる事態は避けたかったんでしょうねぇ」
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