第82話 百目

 そもそも異形の言葉など、男は欠片も信じていなかった。

 ただ、壁を無視して歩く事ができず、ここにきて迷路に阻まれていたのだ。


「壁など無視して直進してもいいのでは?」

「やった奴は、バラバラに吹き飛んだな。鎧ごと木っ端微塵だ」


 壁の上には、見えない突風が吹いている。

 それが気まぐれに吹き付けると、人を両断するのだ。

 さもありなん、ここは死者だけが楽しむ場所なのだろう。

 その迷路も、次々と奇っ怪奇妙な生き物に阻まれ、思うように進めない。

 元が騎士やそれに連なる者だが、見たこともない化け物に襲われ、次々と喰われた。

 そうして彼らは疲れ果て、鍵を求めるようになった。

 あの闇の中で聞いた会話だろう。

 そして愚かにも、怪人たちの唆しにのった。


「統率する奴がいなくなった途端、あれじゃぁなぁ」


 鍵を探せないのなら、誰かを人柱にすれば助かるのではないか?

 彼らが選んだ答えは、やはり自滅だった。


「それからはもう、面白くてなぁ。

 坊主がいなくてよかったぜ。

 真っ先に狙われてただろうよ。

 じじい達もわかってたように、入り口を潰して逃げやがった。

 彼奴等は出られたんじゃねぇかなぁ。

 まぁ安心しろよ、坊主。俺と一緒なら出られるからよ」


 渡した水筒で喉を湿らせると、カーンは小さく笑った。

 

「旦那は、探さないんですか?」

「何をだ?」

をです。もしかしたら、私かも知れない」


 それに彼は笑いを消した。


「俺はな、坊主。

 ガキを殺して生き残らなきゃならないほど、弱くねぇんだよ。

 俺を怒らせるんじゃねぇぞ、いいな?」


 凄まれて、逆に私は笑った。

 何だろう、少し、心が軽くなる。

 痛みが少し、小さくなる。


「なに笑ってんだよ。

 俺は、そういうのが一番、腹が立つんだぞ、こら。」

「それでずっと一人で歩いていたんですか?」

「まぁそうだ」


 他の者たち、ジグ帰りではなく、大公家の男が連れていた近衛や兵士は狂った。

 お互いに疑心暗鬼になり、殺し合いになり、最後は散り散りになった。

 カーンの後を着いてきた者もいたが、迷路の化け物によって何処かへと消えた。


(宮の呪いぞ。

 長くこの場に留まれば、生者は徐々に蝕まれる)


 コソとナリスが呟く。

 言葉ではなく、心に伝わる。

 カーンは聴こえていないのか、干し肉を齧っては肩を回していた。落ちた時に打ち付けたらしい。


(いずれ、この獣も終わる)


「じゃぁ、早く帰りましょう。旦那」

「そうだな、まぁ、土産も一つできたしな」


 と、カーンは腰の首級の袋を叩いた。


 宮の呪いって何?


(生者は、頭の中が蝕まれていく。

 視野狭窄になり、他者の助言も届かなくなる。

 妄想にかられ、攻撃的になる。

 喰われなくとも、末路は宮の住人ぞ)


「厭な土産ですね。村で造った林檎の発酵酒があるんですよ。それを土産にされるといい。

 度数は味の割に高いですし、お土産には最適です」

「おっ、急にべらべら喋るなぁ、商売上手か。

 そうか、まぁ人族の酒は酔わねぇが、買って帰るかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る