第17話 囁き ③

 男は私の両肩を押さえると、ぐいぐいと壁の黒い染みに押し付けた。

 踏ん張り触れないように、染みを見る。

 黒い煤、何かが焦げた跡か?


「何かを焼いたのか?」


「そうだ。焼いた痕だなぁ、何が焼けたと思う?」


 体を放されて、私は点々と石壁に残る痕をよくよく眺めた。

 煤。

 足元を注視すれば、小さな灰。

 灰が少しだけ残るほどの熱。

 窯で焼かれた程の熱。

 そのような猛火をどうやって?


 岩壁から一歩下がる。

 火種の問題よりも、煤の形に気がついた。

 ヒトガタ、なのか?

 振り返ると、男はすぐ側に居た。

 頭巾の影に、白い二つの輝き。

 目の位置にあるのだから、目なんだろう。

 でも、人の目には見えなかった。

 真っ暗闇に浮かぶ鬼火みたいだ。

 私は知らずに息を殺した。


「さて、坊主。お前、この穴の先へ何処から入れるか知っているか?」


 私は頭を振った。


「何だ、隠すことでもあんのか?」


 男が再び手を伸ばしてきたので、さっと避ける。


「ここは忌み地だ。村人は穢がうつるから来ない」


 笑いながら、ふざけたように男が手を伸ばしてくる。


「カーン、遊んでいないで、鏡を持たせろ」


 そんな私達に、壁を探っていた仲間の一人が怒鳴った。


「あいあい、坊主、鏡を出せ。それから、一人馬番だ」


「それは私が」


 と、小者の一人が頷いた。

 私は懐に手を差し入れた。


 智者の鏡を翳す。


 薄気味悪いと思いながらも、何が起きるかと注視する。

 期待に違わず、それを翳すと直ぐに表面が波打った。


「気持ち悪いな」


 呟くと、そうだな。と、男も素直に同意した。

 すると、それに答えるように、囁きが掌から溢れた。

 たくさんの笑い声、言葉の切れ端、会話の断片が流れ出す。

 どれも意味は拾えず、混乱を呼ぶ猥雑さ。

 とても不愉快で厭な気持ちになる。

 その悪意を含む囁きに、板がうぞうぞと蠢いた。

 しばらく蠢き、さざなみのような模様が収束すると、人の顔が浮かび上がる。

 目を閉じた人の顔だ。

 水面から浮かび上がる人の顔、そう見えた。


「智者のナリスだ」


 気持ちが悪い。

 と、再び思う。

 目が開いたら、嫌だな。


「聞いてみろ、子供と女には優しいらしいぞ」


 優しい?

 それが喜ばしいとは思えない。


「何を聞けば?」


 我が知りうる限りの事を


 と、男の代わりに、死面が口を開いた。

 気持ち悪さが、倍になった。

 根性で、鏡を捨てなかった。

 捨て割れでもしたら、まずい。それを思って耐えた。


 物が喋る不思議より、これは呪われ穢れているのではないか。と、忌み地にての冒涜に歯を食いしばった。


「気持ち悪い」


 そうだな。

 と、男も再び同意した。

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