第779話 孤独の岸辺(下)②
難しい顔をしている。
「何だ、喉でも乾いたか?」
そちらこそ、顔が怖いです。
「失敬だな」
怖い顔の原因は何です?
「正確な文字の綴りを忘れた。
指定紙の公式書類で誤字は訂正が入るだけでそのまま保管だ。
書き損じたからと新しい紙は早々貰えないんだよ。
そして俺の足りねぇ脳みその中身も記録に残るってわけよ。
やだねぇ、ガキの嫌がらせかよ。
ん?
何が、あぁ、辞書やら専門用語の乗ってる奴を借りようとしたらよ、アホがまた、旧書体のものなんぞ投げ寄越しやがって、使えねぇし使ったら使ったで、まぁアレだ。
しょうがねぇ、ぶっ殺しちまうのも止められたしよ、ここはひとまず大人の対応で流してやったのに。なのにサーレルなんぞ笑いっぱなしで誂ってきやがる。
殺すって脅さねぇと仕事しねぇのかよ、奴らはよ」
共通語なら、お手伝いします。
伸び切ったテトを椅子におろして、机の側に行く。
微妙に机の位置が高い。
実に微妙に難儀だ。
私が小さいのではありません。
獣人の体格が良すぎるのです。
「何も言ってねぇんだが」
書類の文字の綴りが途中で止まっている。
変異体の解剖報告書を読み、まとめているようだった。
報告書の文字は崩されており、略された部分を戻して書き起こさねばならない。
専門用語の羅列は蚯蚓のようで膨大だ。
ちょっと見ただけで、頭が痛くなる。
医務官ならいざ知らず、こんな面倒な単語を普段は使わないだろう。
それこそ医者や学者の報告書だ。
もちろん、解剖や解体を得意とした男の知識があるので、綴りの問題は解決だ。
口述した側から、綴りを教える。
直ぐに面倒になったのか、私を片膝に座らせると筆記用具を握らされた。
その後は、カーンが喋り、私が文章におこし、最後に指定の紙に清書するという具合になった。
体を休めるという予定はどうなったのでしょう?
「まぁ動いてねぇし。
昼飯すんだら、昼寝すればいい」
太る。
もたれる。
おやつの果物ください。
「痩せすぎ。
柔らかいもの食え。
果物な、わかった」
おぉ言ってみるものだ。
果物だ。
素晴らしい。
早く仕事を終わらせましょう。
「だんだん、お前の中身がわかってきた気がする。」
旦那の性格もわかってきましたよ。
「ほぉ」
家長、長男、そういう性格です。
「なんだそりゃ」
兄弟はいましたか?
「まぁ親戚と称する輩はいたな。
血の繋がりも定かでないのは、一山ぐらいはいたぞ」
多分、意地の悪い、面倒見の良い、下に好かれるお兄さんだったんでしょう?
「意地悪いってのはあたってるが、他のは誰の話だ?」
脅かしは無しですよ。
そう思っただけのことです。
優しいとは言ってませんからね。
私の言葉に、カーンはうっすらと笑った。
「予防線をはるくらいには、お互いにわかってきたって事か」
舐めてるなんて感じたら、首を絞めるぐらいするでしょう。
今、そんな風にされたら死にます。
「俺はどんな狂人だよ。
非力な女子供の首を絞める男?
ちょっと脅すのに首なんかいちいち絞めねぇよ」
脅すのは否定しないんだよなぁ。
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