第660話 挿話 兵(つわもの)よ、剣を掲げよ盾を押せ 中 ⑥

「ここで変異体に出くわす偶然など演出できるのか?」

「できないですよ。

 私ができるのは、お祈りだけですね。

 ですが人生の悩み不確実な証言も、お祈り情報を積み上げれば、真実にも届くというものです。」


 沈黙し耳をそばだてるイグナシオ達を他所に、シェルバン兵らは慌て動く。


「..不届き者めが」


 イグナシオの絞り出された呟きに、相方はフッと嗤いをおさめた。


「本当に、何もしていないですよ。

 いつもの情報収集だけです。

 信じてくれはしないでしょうが、驚いてもいます。

 私、実は運がいいんですね。」


「戦闘用意」


 神のお導きは無いが、間諜の謀略はありそうだった。

 柄にもなく挑発を繰り返していたのは、関内にいる時間を調整していたのだろう。

 イグナシオは手甲の金具を締め直した。

 それぞれに武器を用意し、荷駄と馬を関壁の方へと避難させた。


「感染が見受けられなくとも、不用意に人族には近づかないように。

 何某かの要因と接触後、3日間です。

 最短で発症するのが3日。

 これを頭に置いておいてください。」


 監視塔から、案内の男のひとりが駆け戻ってきた。


「ここにいてくれ、今はボフダン側には開けない。」

「わかっている。

 非常時に領境の開放は無理だろう」


 と、言いつつも、関内部に戻ろうとする男の襟首を掴んだ。


「何があったか教えろ。

 我々は伝令として任務遂行が第一だ。

 その邪魔立てをする事柄は、すべて排除せねばならん」


「何が起きているのか、こちらも分からないんだっ!

 アンタ等はおとなしく、ここにいてくれ」


 暴れる男を掴んだまま、イグナシオ達は順路を戻った。

 咎め立てするシェルバン兵はいない。

 彼らの周りを、武器をもって追い抜いていく。

 それどころではないのだろう。


「どっちだ?」


 半ば首を締め上げられている兵士は、呻きながらも順路の右の方を指さした。

 薄暗い枝葉の通路の先がほんのりと明るい。

 どうやら関町内への通路がそれのようだ。

 半円を描く天井をくぐり、趣のある煉瓦の通路を進む。

 東独特の建築様式の通路を抜けると、高い塀に囲まれた関の町が広がっていた。

 ミルドレッドの四分の一にもならない、小さな町だ。

 関壁と内壁の圧迫感が無ければ、実に風情のある町である。

 緑と明るい煉瓦の家が立ち並び、白い壁が目にも美しい。

 一般的な町の作りと同じで、中央の広場に水場が設けられている。

 そしてそれを囲むように放射状に町並みが整えられていた。


「何だ、アレ、は」


 そう呟いたシェルバン兵を解放する。

 案内はいらないし、不要な荷物は邪魔になる。

 イグナシオ達は息を潜め、気配を殺す。


 水場の周りに点々と人が倒れている。


 その他、逃げ出した人々は、水場の向かい側、大きな建物に寄り固まっていた。

 イグナシオが出てきた通路側、左手ではシェルバン兵らが武器を構えている。

 動きは、無い。

 それぞれに水場の方向を凝視し、身構えていた。


 水音。

 人の息遣い。

 関の風。


 イグナシオ達も極力気配を薄くし、彼らが注視する原因を探す。

 獣人から興味を失せさせる原因をだ。


 水場のありふれた円形の噴水。

 どうやら調節が壊れたのか、縁から水が溢れ流れ出している。

 水は溢れ、倒れ伏した人々をも濡らし流していた。


 女、子供。

 男、年寄りと、町の者だろう人々が伏している。

 それがゆっくりと水場の方へと動いていた。

 いや、引き摺られている。


 イグナシオ達が目を凝らすと、倒れた者の四肢に何かが巻き付いてた。

 それがズルズルと水場の方へと引っ張っている。

 その何か、赤黒い縄目のようなモノは、噴水の中から出ていた。


「この関の水場は、地下水を利用しているんですよ。

 噴水に見えますが、あれは井戸なんです。

 自噴水ですね。

 私からすると、とても不思議なんですが。

 水を盛大に吹き上げるんだそうです。

 シェルバンの町や村々は、地形的に硬い岩盤が圧力をかけているので、そうした井戸、噴水が町にあるんだそうですよ。」


 イグナシオの舌打ちだけが、その態とらしい説明に相槌をうった。

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