第87話 男の答え

 異形は暴力を振るうことなく、私を促した。

 改めてながめると、彼らは大きく恐ろしい。

 けれど、その気配は静かで、何も含んでいない。

 促されるまま闇を進むと、どこからか音楽が聞こえた。

 雅な音だ。

 村の祭りや教会で聞く音楽ではない。

 今まで聞いた音で言うと、吟遊詩人の竪琴だろうか。

 やがて闇の中に青白い輝きが灯る。

 水晶でつくられた壮麗な部屋だ。

 物語の中の宮殿のようである。

 見るからに冷ややかで美しい。

 凝った調度も全て水晶であった。

 あたりを見回して、座る者に気がつく。


 蝶だ。


 あの時は水辺に見えたが、水晶の広間で玉座にいたのだろうか。

 静かに、肩肘をついて座っている。

 羽はゆったりと閉じては開き、揺れていた。

 神様、異形の神様だ。

 私は膝をつき頭を垂れる。

 慈悲を願う以外、私には道はない。


『役割を終え、始原の理に戻る

 宮の主たる我も

 これまで支えた者達も

 幾度も繰り返される過ちに

 戻るも一興であると考えていた


 だが、久方ぶりの供物

 慈悲が還された

 断たれたはずの道が繋がったのだ


 我は夢幻を司る

 だが、本質は滅びである


 始原の理とは死だ

 その我に、皆が求める

 滅ぼせと

 間違いを償わせろと

 眠りを覚ます齋をと

 死者は嘆き求める


 命を滅ぼせと


 だが、慈悲が戻ってきた


 何が滅び、何が栄えるか

 慈悲の小さな選択が呼ぶ混沌は、我の眠りを保たせる』


 響く声音は穏やかだ。


(顔をあげなさい)


 耳の側での言葉に、驚き顔を上げる。


(選んだ事に対する、答えを見届けなさい)


 目の前の水晶の床は鏡となり、答えを写した。


 爺達は縦穴を昇っていた。

 厳しい表情で項垂れているが、生きている。

 夜明け前の薄い明るさの中、彼らは生きながらえた。

 私は安堵し、両手を床についた。


「安堵するには、早いのであ〜る」


 側にいた仮面の異形が笑った。

 それに主もひっそりと口元を引き上げる。


(この男を選ぶとは、因果であるな。

 よりにもよって罪業深く、

 もっとも人らしい人を選ぶとは)


 鏡は、あの門を写していた。

 カーンは門を押し開く。

 私が入った門だ。

 押し開かれた門の先、見えるは青白い雪原である。

 まだ夜の気配が支配する、青白い雪の世界だ。

 夜明け前、神聖な空気を纏う静寂の景色。

 男の背中は動かない。


 足を踏み出せ。

 人の世にもどれ。


 私がそう思っていると、急にカーンは振り向いた。


 激怒


 その表情は怒りに歪み、牙を剥き出しにしている。

 何故だ?

 何で怒るんだ?

 私の戸惑いに、仮面の異形は大声で笑った。

 そして物言わぬ兄弟は身を揺らし、主はゆっくりと頭を振る。


『久方ぶりの供物、確かに受け取った』


 宮の主は、至極満足そうだった。

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