第554話 さぞや...と、老人は言う ③
斬りつけた蔦からは、どろりと緑の汁がたれた。
地面に滴る液体は、白い煙を上げる。
その煙が消えると、地面は焼け焦げたように黒ずんでいた。
蔦の断面は、あっという間に膜がはり、そこから小さな蔦が生まれて更に茂る。
これでは迂闊に手出しはできない。
蛭にするように火を近づけたが、燃えもせず怯むようすもなかった。
獲物を昏睡させて養分を吸う。
しかし、他の誰が近づいても、襲いかかってくる様子は無い。
これが禍事の原因か?
「あんまり近づくな。お前だとひとたまりもねぇぞ」
止められるが、少し側に寄れば感じる事ができた。
霧の気配。
そして蔦に宿るモノは無く。
「これは、ただの蔦かと」
「ただのだと?人間様に喰らいついてるぞ」
邪気は無い。
黄泉の生き物が薄れた境界からこぼれ出ただけ?
やがて枯れ果て消えるのか?
彼ら罪人が吸い尽くされたら、枯れて消えるのか?
止めるカーンが私を掴む。
それでも片手を差し出すと動かぬ蔦に手を触れる。
ひやりと冷たい植物は、何ら答えはしなかった。
「わかりません。ですが、きっと私達は食べない」
あの薄い境界で何かを彼らはした。
そして報いを受けた。
だって、これは罰だもの。
人の世から冥府に渡ろうとしたのかはわからない。
だが、あの境を越えたのではないか?
愚かなことをしたのか?
昔話にあるだろうに。
人が渡り戻るには、相応の犠牲を払うのは当然。
いたずらに、墓に手をつければどうなるか。
子供でもわかろうに。
黄泉へいくは、生きるをやめること。
カーンが失い、私が約束をしたように。
「何を考えている?」
カーンの問いに、私は浮かぶ言葉を返す。
「冥府に渡った者は、二度とこの世には帰れません。
昔話を引き合いに出さずとも、死とは戻り道の無い旅です。
公主様の墓は、その境に置かれた扉。
人は祈り、公主様は眠る。
では、この墓守と称する男達は、一晩、あの場所で何をしていたのでしょう?」
「何をしていたと思う?」
「もう一度、言います。人は冥府に渡れば戻れません」
「これは中に入ったと?不可能だろう」
「そうですね。でも、例えば鏡の中に見知った相手がいたとします。
彼らは話し合ったのでしょうか?
追いかけたのでしょうか?
それとも、追われたのでしょうか?
何れにしろ冥府に一足踏み入れた者は、代償を払わねばなりません。」
「オリヴィア」
「人であるなら、守らねばならぬ条理があります。
この世を人の世を守るには、明確な線引をせねばなりません。」
「オリヴィア」
名を呼ばれて、はっとする。
また、知らぬ間に背を押されていた。
明言するのを避けたからか。
「たぶん、これは怒りに触れた結果。
罰なのです。
かわいそうに、こんな場所では、ながらえ花を咲かせるもままならない」
それにカーンは、奇妙な表情を浮かべた。
どうしたのだろうと見上げる。
彼は薄く笑うと私を抱えあげ、宥めるように軽く足を叩いた。
「あぁ、かわいそう、だな」
結局、蔦をこの場で剥がすことは無理と判断した。
ユベルを城塞へと伝令として出すことにし、残りは、近隣のコルテス人集落へと向かう事にする。
面倒事を直轄地で処理したくないのもある。
当然、私は城塞へ戻る事を提案される。
けれど、私は事の顛末を知りたかった。
この巻き付く蔦がどうなるのか見たかった。
凶暴であるが、邪気の無い有様。
花が咲いたらどうなるのか、見たいと思った。
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