第502話 ドミニコの美しい薔薇 ③
「どうして、危険なんだ?」
(光りの表現だよ。
光りといえば、神聖教の神の事だ。
それを表現に取り入れるのは当時は禁忌だったんだよ。
けれど彼は、その表現を堂々と使い、肖像画とした。
彼は、ある意味壊れていたんだ。
人としての保身という部分が、元々身一つの産まれゆえに壊れていた。
何者も怖くなかったんだよ。
死ぬのさえもね。
彼の中では、美しいか美しくないかだけ。
己の審美眼を摂理だと信じていたんだ。
本当の天才型の人間は、傲慢なんだね。
あまりにも堂々と、これは美しいので正しいんだ!
と、主張されると凡愚には、わからなくなる。
価値観というのは、それだけゆらぎやすい物だからね。
神殿としては不敬とするか、その才能を神の采配とするかで揉めた。
そして結論は、利用できるなら利用すべし、だ。
排斥するには、彼が作り上げた美の価値観は、すでに貴族社会では浸透していたからね)
「それでか」
ドミニコ少年は、王家の画家へと転身した。
最年少の王家専属の肖像画家であり、彼が描くその他の絵画は風景のみとなる。
風景画の中でも美しく神秘的な物ほど、神殿寄贈となり売り買いされない。
専属画家となる前の肖像画は、値がつけられない程になった。
彼が画家としてい大成すると共に、彼を後援していた貴族夫婦にも喜ばしい出来事があった。
彼の夫妻に新しい子供が産まれたのだ。
アレクサンダーという男児だ。
成長した彼は、後に、長子ミカエル・ドミニコの工房に援助を続けた。
王都にあるドミニコの工房は、彼の死後もアレクサンダーが経営している。
(現在もアレクサンダーのドミニコ工房は繁盛している。
けれどドミニコの死後は、彼自身が手掛けた作品だけを、ドミニコ作とするようにした。)
「ん?」
(アレクサンダーは、兄本人が手掛けた作品だけを、ドミニコ作と認めている)
「私は文化や芸術には造形が深くない。
この場で、そう囁くのには、理由があるのだな」
(普通は工房作品、つまり多くの徒弟によって作り出された物も、ドミニコの名前が冠される。
しかし、彼の血の繋がらぬ弟は、兄の死後にきちんと、そこを分けた。
兄が手掛けた作品以外は、兄の意志で作られたものではない。
もしも、それをドミニコ作とするならば決闘も辞さない。とね。
そしてアレ・ロナウドが作り出す物は、ドミニコを称える作品であり、ドミニコの名前はついていない。
だから、ドミニコの名前を流用した、何某かの物品がある場合、本当にそれが本人の物であるかが重要なのだ。
大丈夫、今は、この事は重要じゃない。
さて、続きだ。
さぁ、彼の美しい薔薇の話だね。)
後半は、晩年の作品の解説とその背景だ。
一番の代表作が、ニコル・エル・オルタスの肖像画である。
挿絵はあるが、作品そのものの模写ではない。
美しい薔薇の版画だ。
(ミカエル少年は、気鬱の奥方に庭の薔薇を毎日送った。
幸せが来るように。
笑顔が戻るようにね。
そして大人になったミカエルは、公王の妹姫であるニコルにも薔薇を送った。
幸せが来るように。
笑顔が戻るように。
ミカエルは芸術家であり、女性を賛美する者だった。
薔薇は彼の作品、愛の象徴なんだ。)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます