第862話 モルソバーンにて 其の四 ③

 彼の命の炎、その言葉の配列に、一滴のまじないを施す。

 それは吹き去る風のように、一瞬で行き渡る。

 覗き込む瞳の中には、新たな配列が組み上がっていく。


 次はザムだ。


 喰い付かれた首筋の血を拭う腕に指を伸ばす。

 彼の魂に、手を。


 私の心にも刻もう。

 この美しい世界を汚す、私の行いを。

 私は、罪人であると。


 彼等の理に、この醜い者共との闘争を割り要らせる行いを。


 それでも弱い私は許しを乞う。

 許してほしい。

 どうか、許してほしい。

 私がこの世を汚す事を。

 ボルネフェルトが世を腐らせたように。

 貴方達の世界に、このような不浄を見せてしまうことに。


「なんだこりゃ、おいおいおい!」

「うわっ!..に噛まれた..のかよっ」


 次いで、私は異形の頭部を見る。

 彼等を構成する言葉を開く。


 唾棄すべき言葉の配列を選び出す。

 この手触りは、敵だと知らしめる。


(範囲を指定するんだ。

 指向性をもたせて、領域全てに神の理を行き渡らせるんだ)


 この私の力の及ぶ範囲において。

 呪いを広げよう。

 私の、世界。

 私の大切な人たち。

 私の世界に生きる人間たちに。


 警告。

 解錠。

 祈り。


 この時より、この私、この場所から拡散を。

 この魔導の生き物の身に、我等が神の慈悲を与える。

 その穢れし身に、神の言葉の配列を与える。


 神が先に定めし守りの理を砕く。

 神の理のひとつを、壊す。

 人が与えられし神の盾、無知の恩恵を壊す。


 かわりに与えよう。

 オラクルが望みし、グリモアの力を。


 私の体の内側から、うたが流れ出すのがわかった。

 少し調子の外れた、狂った唄が聞こえる。


 歌うは、狂気の窓を開く神々の声。

 生きては覗けぬ、深淵の。

 潜むは極彩色の夢。

 魔に触れた者だけが、知る事々だ。


(オリヴィア、皆にもこの魂の唄を聞かせよう。

 決して、君ひとりが罪を背負う事はないのだ。

 君は、優しい、女の子。

 可哀想なお姫様。

 願っているのは、小さな小さな幸せなんだから。

 君の破滅を願っている訳じゃないんだよ。)


 優しい嘘はいらない。

 お前たちが語る多くの憎しみ、嘲りは、神が与える幻惑だ。

 知っている。

 結局は、私自身なのだ。


(僕たちが時々狂ってしまうのはね、君が負けないって知っているからさ。

 弱いやつは、最初から自分を差し出したりはしないからね)


 遠雷が応え、広がる唄が空に消えていく。

 私から広がる紋様は、大気に溶けながら薄く青く広がり続けた。

 振り返ったカーンが何かを言った。

 私の唄が聞こえるのだろう。


 怒っている?

 でも、これで大丈夫。

 皆、見えるようになったよ。

 貴方の世界は、大丈夫だよ。


 紋様は円環を描き回転を続ける。

 私を中心に広がり続ける。

 それにあわせて異形の動きも止まる。


 お前たちの不可視の守りも消え失せた。

 私達も守りを捨てた。


(失った分、与えられたのはこの世界の人間もだよ。

 君は罪人となったが、救い主でもある。

 人が破滅する前に、君が与えた。

 君の唄が届いた場所から、開眼するだろう。

 君が望んだ、守りの力だ。

 神は奪い守りを与えた。

 供物の君は、取り戻し新たな守りを与えただけさ。

 本来あるべき、この世の人が力をね。

 神はすべてを許すだろう。

 罪人は君では無い。

 君の献身は無駄ではないのだ。)


 慰めのような言葉に、私は夜空を見上げる。


 どう取り繕うとも、私はこの世のすべての人を呪った事にかわりはない。

 許して欲しいと思っても、救われる事はないのだ。

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