第695話 帰路にて ⑦

 フォックスドレドの湿地は、霞がかかっていた。

 海の方から吹き付ける風に、流される雲が視界いっぱいに広がる。

 圧倒的な灰色の雲が押し流される景色は、少し怖い。

 荒涼とし建物ひとつ無い自然の景色。

 小さな私は身を縮める。

 小さな生き物としての怯えだ。

 昔から、生きている世界の美しさ、完璧な姿に圧倒されていた。

 そして恐れていた。

 嵐。

 雷。

 雪。

 滝の流れに広大な雪原。

 深さの測れない岩の亀裂。

 陽の光りに透ける新緑の美しさと同じく、積乱雲に怯えた。

 満開のリンゴの花に見とれ、激しい水の流れの行き先を怖がった。

 真っ白な雪は綺麗で、灰色の雲海も好きで、同じくらい全てが怖かった。


 これはテトやあの蔦に感じる畏怖と同じだと思っている。


 無邪気で純粋で、人の命など一瞬で奪い去っていく。

 私の世界。

 私の怯えと無駄な考えを感じたのか、抱える腕が外套をかけなおす。

 視界を塞ぐように抑える手。

 繭のように包まれて、少しだけ寂寥を消す。

 残酷な事は何もおきない。

 悲しい事も辛い事もおきない。

 誰も死なない。

 別れも、無い。

 そう必死に言い聞かせる。

 信じていない事を言い聞かせているうちに、私は眠った。

 起きた時には、野営の夜が再び訪れていた。


「彼女を何処でみつけたのですか?」


 耳に入った言葉に、目を閉じたまま聞き入る。


「見つけたも何も、北だ。

 神殿預かりの巫女見習いだ。

 それがどうした」


「神殿は把握済みなのですね?」


「何の話だ」


「早い方がいいですよ」


「だから、何の話だ」


「義兄へは報告されていますか?」


「報告は必要がない」


「直系係累でしょうに」


「どうしてそう思う」


「同じ種族です。間違いようがない」


「人獣混血とは関わりがない..何だ?」


「卿の年代は、知らない方が多い事を失念していました。

 祖父と父、私の年代までは、当たり前の事でしたから」


「何を、だ」


の話ですよ」


「それは知っているが」


「知りたい、ですか?」


「何をだ」


「私は嘘つきです。

 長命種貴族の頭領は嘘つきが商売ですからね」


「そうなのか?」


「ですが、私が目覚めてからの発言の、だったとしたらどうです?」


「どう..半分、か」


「私は卿の産まれた頃には中央詰めでした。

 今宵の暇つぶしは、ちょっとした昔話にしましょうか。

 なに、年寄りの話は元々、自分自慢の昔語りですから、そうそう深刻になる必要はありません。

 ちょっと耳に入れておくべき情報、年寄りならば当たり前の事実を伝えましょうか。

 卿が、それをどう判断するか、中央の情報技官と内容を精査するのも宜しかろう。

 ただ、ここで話すお話は、貴方の為というよりも、そこでお休みなられているですよ」


「冗談でもその呼び名は止せ」


「私は言いましたよ。半分は本当の言葉を述べていると。」


「半分だろ」


「えぇ、彼女は私の可愛い人ではない。

 私の姫ではない。

 ですが、彼女はランドール殿の係累だ」


「大嘘を」


「精霊種は先代のが、最後にです。

 これは本当の話です。

 裏取りはご自由に、ただし、聞く相手は慎重にしてくださいね」

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