第223話 命の器

 私の中で、本が開く。

 文字が浮かび、私を取り巻く。

 歌だ。

 美しい旋律が流れ出る。

 調和のとれた調べが、細く高く、太く低く響く。

 笛の音に似た調べが続く。

 風の音にも、鳥のさえずりにも聞こえた。

 感覚が肥大し、繋がるのがわかる。

 通路に踏み出すと、闇にも文字が流れていた。

 少し濁った緑の文字だ。

 それが静かに流れている。

 闇は文字に押され、存在を朧にする。

 朧になった闇は、醜く淀んで見えた。

 その淀みをかき分けて進む。

 するとそれまで見えなかった世界が、鮮明になった。

 地下の水路は、夥しい文字で埋め尽くされていた。

 煉瓦の一つ一つにも文字が刻まれ、力を溜め込んでいる。

 それを見れば、水源地が水の供給以外にも重要な施設であったと伺えた。

 城塞そのものが、巨大な呪術方陣なのだろう。


(水の浄化施設が城塞の防御機構を動かす動力源の役割を担っていた。

 城塞の防御用呪陣の動力だ。

 これをシュランゲの呪術師は、大規模な呪術に応用した。

 動力としてではなく、としてね。

 城塞が陥落して、動力としての呪陣が壊れてしまっていたのもある。

 水は呪術の通り道としては最適なんだよ。

 この通り道をつかって、呪術師は広大な領地全体に呪いをかけた。

 水は、フリュデンは勿論のこと、侯爵領すべてを流れている。

 広大な土地を影響範囲に指定できたんだ。

 努力の末に得た呪術師の素晴らしい技巧だね。

 洗練された呪術とは、単純化されているんだ。

 余計な物を挟まない。

 けれど、それに芥虫ごみむしがちょっかいをかけた。

 フリュデンの歪で醜い呪陣を見ただろう。

 歪で幾つもの間違った場所で結んでいる。

 怠惰でえた魂らしい落書きだ。

 食べかけの他人の料理に手を突っ込むような奴らしいね。

 彼女は、人の食べ物を盗み食いしたようだよ。)


 腐れた男達が嗤った理由。

 愚かな欲だ。

 そして結果は、まったくの見当違い。

 愚か者に相応しい末路だ。

 私は嗤った。

 ひとつもおかしくないのに、嗤った。

 泣きたいと思いながら。


「人の身で何を馬鹿な事を」


(知識の転写ができてきたね。答えがわかった?)


「奥方は短命種だ。

 だから、長命種だという嘘を本当にしたかった」


(じゃぁあの呪術方陣で願いは叶うかな?)


「かなわない」

(そうだね)


「婆様は教えなかったのか?」

(学ばなかっただけさ。

 見事な業前の呪術師が、弟子への教えに手抜かりなぞあると思うかい?

 努力や研鑽ができない。

 自分の足元が見えない。

 君が、僕達を嫌うのは、答えを先に用意するからだろう?

 簡単に手に入る答えは、人から学ぶ力を奪い、妙な自尊心を大きくするからね。


 まぁ実際のようなの言葉は、なかなか面倒くさくて聞きたくないものだよね。

 けれど、シュランゲの呪術師は、最初に教えたはずさ。

 命と魂の知識をね。

 それに君ならば、この世には答えが正解でも、正しいとは限らない事を知っている。

 君は、十分、だよ)





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