第884話 モルソバーンにて 其の七

 通路は途中から、奇妙な作りに変化していた。

 ヌルヌルとした黒い物が、壁と天井を覆う。

 それは生き物の体内のようにも見え。

 ゴツゴツとした骨が浮き出るように壁が波打っていた。

 ぬめりと湿気、温度は高くなり、獣の腹の中だと言われれば納得しそうだった。

 一面の黒い物に、継ぎ目が無い。

 その表面から薄桃色の液体がにじみ出ている。

 空気の流れは微細だが、まだ感じられた。

 

 異界。

 魔導が満ちている。

 不安と不快な感触だ。


 あの下に降りる時に通り抜けた、闇が境界だったのか。

 そして眼の前には分かれ道。

 抱えられてぼんやりとしていたからか、異様な景色を認めるのが遅れた。


 分かれ道の真ん中。

 奇妙な柱がある。

 それを中心に、通路が三つ。

 私達が進んできた道を加えれば四辻になるのか。


 沈黙の中、凝然と見つめる。


 辻の真ん中に立つ柱は、奇っ怪な立位の像だ。

 黒い骨格の外皮を持つ、裸像である。


 子細に見れば、その胸部が呼吸をするかのように動いていた。

 人間と黒い骨格が融合している。

 姿としては、両腕を耳につけ、肘から先を後頭部にまわしているような形だ。

 しかし人の部分は上腕の中程まで、両足も太ももの中程までが残っている。

 胴体と顔、頭部の一部は人として見えたが、他は欠損しており、黒いモノが埋めていた。

 黒い流れに浮かぶ死体のよう、いや、まだ生きているのか?


 性別はわからない。

 顔は青白い人族のものだ。

 目を閉じて、唇は引き結ばれていた。

 暫しその姿に見入る。

 だが、瞳は開かない。


 イグナシオが手を伸ばす。

 すると、その指が触れる寸前に口が少し開いた。

 牙だ。


「これは何だ?」


 私は頭を振った。


『人が素材であるが、何であるか見ても手応えがない。』


「手応え?」


『魂の応えが無い』


「どちらに向かへばいい?」


 私は、通路を見回した。


 どれも奇妙で醜悪な紋様で溢れている。


(読み取れるはずだよ。

 僕達もの書だからね。

 そう、同じ構造だからこそ、我々はそう名乗るのさ。

 戒めであり、同質だからね。

 呪術師と魔導師は、金貨の表と裏なのさ。

 堕落は簡単って話だね。

 さて、よくよく見てみようか)


 対するすべての道は、どれも不愉快で猥雑に見えた。

 頭の芯が痛み、見つめると醜い小さな紋様が踊っている。

 奇妙、不快、神経にさわった。


『どの道も、酷い』


「アーべラインだ。どれが正解に続いているんだ?」


 糸は薄く先でかき消え霞んでしまっていた。

 眼の前を浮塵子のごとく魔導の文字が塞いでいるのだ。

 視界を塞ぐそれらを、更に見つめる。

 すると、どこからか更に厭な気配に触れた。


『糸は見えないが、厭なモノがいる道はわかる』


「何処だ?」


 イグナシオが背筋を伸ばした。


『中央の道だ。

 登り坂になって、その先が少し左に曲がっている。

 その向こうに何かがある感じだ。』


 伝えると、ザムが通路の壁に、長い釘のようなものを刺した。

 鉄の針だろうか、壁に刺すとそこから体液のようなものがあふれた。


「匂いは無いですね、触ると少し痺れます。

 押し出される感じはありません。

 目印に置きます。」


 素手で確認すると、彼は衣服で指を拭い再び手袋をはめた。


『大丈夫なんですか?』


「まぁ大丈夫ですよ、俺達は毒じゃぁ中々死なないですしね。

 それより巫女様は、鼻と口を何かで覆わないとですよ」


 そういうと彼らは喉元のホコリよけを引き上げた。

 私が懐を探る前に、カーンが無言で布を片手で取り出し渡してきた。


『ありがとうございます』


 それに彼は無言のままだった。

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