第883話 モルソバーンにて 其の六 (結)

『この国護りが健全に作用するには、魔導とならぬようにせねばなりません。


 無用な贄の血を注いではならない。

 術を巡らす礎となる方々の墓を荒らしてはならない。

 宗主となる三公は争い、殺し合ってはならない。

 和合の術ですから、血を絶やしてはならぬのも当然でしょう

 贄と言われる方々は、鎮守の為に己が死を捧げています。

 術に囚われてしまうという意味の贄です。

 この術が失われれば、理の流れに還る事もできるでしょう。

 穢れによって壊されなければ。

 つまり、真っ当に人々が生きて暮らすだけでよいともいえます。

 そうです。

 普通に暮らすだけでいいのです。

 贄を出し、誓約の中で生きていたとしても、苦痛が大きくなるような術ではないのです。

 この世の理の中で、人として相争いつつも、手を取り合おうと努力する。

 それだけで、この鎮護の道行きは続くのです。

 何れこの三つの領地はひとつとなり、平和が続けば術は成就し消えていく。

 贄を捧げる苦しみも、やがて消えるはずなのです。

 墓を守り、この土地から争いごとを追い出すのです。

 そうすれば、魔導の穢れは押しやられ、神の手の中に戻る事もできましょう。

 そう、この地下が墓である事、この場所がどういう場所であるのか、おわかり頂けましたでしょうか?』


 長い語りに、やっとカーンが振り向く。

 その顔を見て、私は少し鼻の奥が痛くなった。


『嘗て、マレイラにて争った人と水妖は、善でもなければ悪でもなかった。

 呪術者が消えたように、かつで、この地にいた者達もそうして消えた。

 消えはしましたが、それは許しであり、決して魔導を退けた等という事ではないのです。』


 掘り返された、あの本にしろ、この壺にしろ、本来は静かに弔われるべき代物だ。

 それをわざわざ掘り返したのは、この術を動かす構造物に、魔導の力を流す為だ。

 神が認める力が失せれば、マレイラの土地は穢れ失われるだろう。

 鎮護の道行き、国護りが昇華して消えるのではない。

 穢れ失せてしまうのだ。

 神のお慈悲が消え去り、失われ、この世の形そのものが消えてしまうだろう。

 消えた事もわからずに、人の形さえも失われ、異なる領域がここを埋めるだろう。

 人の世界、命の世界は消えるのだ。


「絶滅領域と何が違う?」


 問いかけに、私は恐ろしさよりも悲しみがわく。


『人が思う地獄は無い。

 何もなくなる。

 貴方の世界が失われる。

 死して握りしめた手のひらが開かれるのではない。

 もっと、酷い事だ』


「腐土よりもか?」


『先にも述べたように、腐土は理が滞った場所ではあるが、火を灯せば死者は灰になるのだ。

 人は住めぬが、神が支配は留まっている。

 この話をしたのは、既にこの土地には、神の認めぬ場があると思ったからだ。』


「あったとして何が問題だ?

 先の化け物のように、駆逐すればよいのだろう」


『鎮護の道行きは未だに歩みを続けている。

 しかし、魔導の生き物は人を喰らい血を流すまでになった。

 浸食しつつあるであろう事は確かだ。

 そしてこのモルソバーンの墓は既に、魔導の穢れで満ちている。

 この先にあるであろう墓は荒らされ、いるだろう。

 人の顔をした人ではない、何かが。』


「誰でもわかる話だが?」


『よく見知った人であっても、穢れが作り出したナニカを救う事はできない。

 元より、人として形作られた生き物ではないからだ。

 だが、きっと人の何かを使っているだろう。

 東マレイラだけの話である事を願っている。

 これを言えば、同時に疑念をもってしまうでしょう。

 ですがそれを危ぶんで口をつぐむのは愚かと気が付きました。

 ここは我等が神の、人の世界であるという確固たる意思を忘れてはならない。

 何をこれから見たとしても、この世は人の生きる場所であるという事を忘れないでほしいのです。』


「当たり前の話だ」


『その当たり前の事に疑念を持てば、押し負けてしまうのです。

 信じる事こそが、世を確かにするのです。

 魔導とは、人の形、人という生き物の根幹を滅ぼすのです』


「大げさだ。

 化け物が巣を喰っているなら、焼き払えばいいだけの事だ」


『そうですね。

 そう思い信じる事が一番でしょう。

 ただ、恐れより嫌悪を覚えたならば、それは穢れであると考え、決して受け入れてはならないと覚えておいてください。

 恐怖ではない。

 人の悍ましさではない。

 心が潰えるような絶望を感じたら、決して無闇に入り込んではならない。

 もし、ほんの少しでも躊躇う心があるならば、逃げてほしいのです』


「逃げる?」


 睨みおろされて、しっくりくる言葉が見つからず、もどかしく思う。


『この墓を確かめたなら、戻りましょう。』


「お前の長い話は騙りなのか?」


『誰も傷ついて欲しくないのです』


「俺を馬鹿にしているのか?」


 言葉を失う。

 己への幻滅。

 手に負えないだろう事々。

 自分の命を惜しむ気持ちはある。

 けれど、怖いのは違う。

 怖いのは、失いたくないのは、違う。

 もう、彼らを先に導きたくない。

 きっと厭な事が先にあるんだ。

 どう、言えば?


 無言になる私。

 見下ろすカーンを見やるとザムは、ガリガリと自分の首を掻いた。

 そうして毛並みを整えると、少しばかり首をかしげたまま彼は言った。


「よくないモノが先にある。

 ここは墓で、汚れちまったから、危ないって事っすよね。

 なら、さっさと綺麗にして帰りましょうや。

 少し腹が減りました」


「カーン、心構えの話だ。

 戦うとしても、穢れを寄せるなという事だ。

 迷い、躊躇い、恐れていると、穢れに蝕まれるのが人という話であろう。

 墓所をこれ以上荒らさず、穢れを取り除けばよいのだ」


 重ねるイグナシオの言葉に、カーンは頭を振った。

 そして私を片腕に抱き上げる。


「人ではままならぬ事だったなら、逃げよと言っているのだろう」

「嘘つきの言葉は信じられない」

「嘘の無い人間がいるのか?」


 イグナシオは薄笑いを浮かべると先に歩き出した。


「うんざりするぜ」


 私は言葉の接ぎ穂を失い、泣くのを堪える。


「お前は嘘ばかりだ」


 投げられた言葉に息が詰まる。

 すると抱え上げられたまま、ぎゅうっと締め付けられた。

 酸欠で目がまわりおとなしくなるのを確かめると、カーンは私を懐に抱え直す。

 そうして黙らせると、イグナシオに続いて歩き出した。




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