第333話 豆は... ④

「グリモアが危険であっても、君が君である限り恐れる必要は無い。

 問題は、神との誓約だ。

 それが神の愛だとしても、人の身には重すぎる。

 ならばやはり、解くべきなのだ。

 古い神は、君の手にグリモアを与えた。

 何故だろう?

 思い当たる事はいくつかある。

 だが、私は人間だ。

 神の本当の考えを思い描いても、それは人間が求める答えだ。

 古い神と何を約束したんだい?

 君は、もういないと言った。

 君の考えを思い描く、これはできそうだね。」


 忘却する事で、皆が守られている。

 神官は、ほぼ、私の事情を言い当てていた。

 彼らは忘れていなければならない。

 これ以上は、駄目だ。


「君の真名は、神が召し上げている。

 その約束を知らなければ、呪いを解くことができない。」


 解かれてはならない。

 代償は、カーンの命だ。

 私が呪われている限り、カーンは忘れ生きる。

 彼らが宮を踏み荒らした事を帳消しにする為に、私はいる。

 供物の役割はいまだわからないことばかりだ。

 だが、生きて足掻き、人の罪を見て回る必要がある。

 この地であった事も、きっと必要な供物のつとめだったのだ。

 きっと私が供物として宮にたどり着けば、彼らの呪いも解けるのだ。

 神官は、しみじみと私を覗き込む。


「皆の助命嘆願をしたか。

 そこで神に捉えられた。

 大方、君は沈黙が強いられている。

 何をさせる為にグリモアを与えた?

 君の神とは、どのような神だろう?

 グリモアを与える神。

 古く強大な一柱だろうね。」


 じっと覗き込まれて、身震いが奔る。

 神官の体に巻き付く黒々とした太い呪いの帯が、ぎりぎりと軋みながら目の前で蠢く。

 私は宮の底にいるような気がした。

 硝子の上に置かれた日常は、いつ壊れるかわからない。

 この世は儚く脆いのだ。

 神気ばかりに気をとられていたが、彼の体には呪詛の帯が絞め殺そうと巻き付いている。

 側で視れば、それは憎しみと怒り、触れれば猛毒となろうという代物だ。

 それは繰り返し、あらゆる表現で彼に死ねと囁いている。

 常人ならば発狂するような怨嗟と怒号だ。

 怨念の固まりを凝視していると、彼は身を退いた。

 そうすると呪詛は薄れて見え、彼の身を輝かさえる神気だけが漂う。

 これも又、己の事ばかり追っていて失念していた。

 当代一の神官とのたまう本人も、呪われているのだ。

 それもこれは、複数の人間の邪念に見える。

 強固で非常に醜い呪詛そのものだ。

 どうして呪詛を解かない?

 ふと、思う。

 彼自身の神気と神官の力があれば、この程度の呪いは解ける。

 コソリと囁かれる知識。

 これは普通に解けば、呪詛を仕掛けた相手が死ぬ。

 だから解かない。

 解り、内心で慄く。

 これは慈悲だ。

 怖い。

 彼ならば、呪いを解いてしまうかもしれない。

 私の表情に何を見たのか、彼は問いかける力を霧散させた。

 そして、力を抜き少し笑う。


「まぁお互い、いろいろあるよな。簡単に言えるぐらいなら、呪われもしねぇや。

 大丈夫だ、聞かないよ。

 だから、泣くんじゃないぞ。

 泣かれると、俺も泣いちゃうからな」

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