第491話 挿話 ビミィーネン、その日々 (終)

 集会所の前、小さな広場に長椅子がある。

 小さな井戸に木陰。

 母さんは裏で洗い物。

 クリシィ様は、苦しんでいる人の話を聞いていた。

 お祖父ちゃんと商会の人は、怪我人の治療の手伝い。

 私はお弁当を抱えて、その長椅子に座っている。

 少し休んでいなさいと表に出された。

 皆、私が意気消沈しているのに気がついたみたい。

 顔に出したつもりはなかったんだけどな。

 そんな私の前に、ちいさなお客が来た。

 足の先が白くて、片方の耳が食いちぎられてる。

 小さくて可愛いのに暴れん坊のようだ。

 のんびりと歩いてくると、眼の前でストンと腰を降ろした。

 じっと見ると、一声鳴く。

 鳴いてから、弁当が欲しいのか、細めた目で包を狙う。

 食欲もないので、弁当をあけ鶏肉を拾い出してお客にあげる。

 何か小さく鳴きながら、お客は喜んで食べた。

 人馴れしているから、きっと街でもおねだりしては何か食べ物をもらっていそうだ。

 尻尾とお尻に力が入ってる、可愛い。

 そう言えば、教会に来ていた子は、いつの間にか見なくなった。

 半年以上見ていない。

 城塞に越してきてから一番珍しく思ったのが、彼らの多さだ。

 漁港があるからだろうか。

 上も下も、倉庫もあるし鼠対策かな。

 後、引退した神官様に聞いたことがある。

 この東マレイラに嫁がれた公王陛下の妹姫様が、いたく彼らを愛されたらしい。

 輿入れの際にも、王都から特別な種類を持ち込んだそうだ。

 彼らがいれば、東マレイラの侘しい冬も暖かで優しいって。

 以前、教会で飼いたいと思って頼んだことがある。

 悪戯するから駄目だって。

 確かに、儀式用の装具や調度品を傷つけたら大変だし、壁にかかる貴重な絵画や綴織も心配だ。

 でも鼠のほうが、良くないと思うんだけどなぁ。

 まぁ一番の理由は、母さんだ。

 昔は好きだったけど、今は嫌いみたい。


 欲しがるだけ弁当の中身を食べさせた後、お客は隣に座った。

 毛繕いをすると丸くなる。

 見ているだけで満足だという感じが伝わってくる。


 母さんは、あの男、黒い御領主をどう思っているのだろう?


 母さんは昔の事を話さない。

 父さんの事も、何もかも。

 それともお祖父ちゃんとは話すのかな。

 思い返してみると、実のある会話をしていない。

 再会してからずっと、目の前の生活にかかわる話だけ。

 お互いの心の中の事や、家族としての深い話をした事がない。

 家族。

 まだ、家族なのかな?


 そんな事を考えていると、道の向こうから歩いてくる者がいた。

 兵隊だ。

 二人の兵隊。

 青い帯をした人族の男達だ。

 一人は若い。

 私と同じぐらいかな?

 もう一人は、何だろう顔色が悪い。

 青黒くて、病人みたいだ。

 少し前かがみで歩いてる。

 こっちは倉庫街行き止まりだ。

 何をしに来たんだろう。

 船員達を見に来たのかな。

 青帯、領土兵だ。


 唸り声?


 傍らで眠っていた筈なのに、今は毛を逆立てて怒ってる。

 道の向こう、領兵を見て怒ってる?

 彼らは気にした様子もなく近づいてくる。


 ふと、怖くなった。


 私はお弁当の包を手に取ると、集会所の中に入る事にした。


 唸り声。


 もう、領兵達の声が聞こえるほど近い。

 顔色の悪い男の体が揺らいでる。

 連れの若い兵士が心配そうにしていた。

 でも、私は口出しを控えた。

 アッシュガルトの領土兵が嫌いなだけじゃない。

 小さなお客が怒っているからだ。

 以前に、虐められたのかもしれない。

 早く、建物のなか..


 一瞬だった。


 青黒い顔の男。

 飛び散る液体。

 動物の唸り声。


 私と、その年若い領兵は、何が起きたのか分からずに棒立ちだ。

 それでも私より先に、その若い兵士は動いた。

 賢明にも立ち向かうのではなく、私の方へ駆け寄った。

 私も荷物を落とすと、その兵士と一緒に集会所の中へと転がり込む。

 戸を閉め、開かないようにと目についた物を積み上げる。


「ビミン?」


 ふり返る。

 お祖父ちゃんや商会の人、クリシィ様も奥から顔を出していた。


 ねぇオリヴィア。

 きっと忘れちゃ駄目なことってあると思うの。

 苦しくても、忘れちゃだめなこと。

 悲しくても、辛くても、忘れちゃ駄目なの。

 過去は今に繋がっているんだもの。

 忘れちゃだめなのよね。


「どうした、なにがあった?」


 唸り声。

 可愛い猫の唸り声じゃない。


「..猫、食べられちゃった」

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