第109話 幕間 吹雪の夜
保存食にしては量も質も良かった。
鹿肉は熟成も十分で、その肉を使った汁物も滋味豊かな山菜や茸類が煮込まれている。
副菜も腸詰め肉と乾酪の焼き物で、獣人の好む肉料理に大鍋で大量に作られた。保存食等という材料と代物ではない。
年寄り達が汁だけを食すのを見て、この料理の殆どが饗応だけに作られたのがわかる。
もちろん、遠慮するつもりもない。
相応の金の袋は渡してある。
辺境のそれも冬場に来て、良いものが食えるとは思っていなかっただけに、それだけは僥倖だ。
美食には縁の無い男達だが、不味いより美味い物が良いのは当然だ。
男達が饗されている横では、頭領が娘に薬湯を含ませていた。
未だ意識はなく、少しづつ飲ませている。
医務官の資格を持つエンリケと毒物に興味がある補佐官のサーレル二人が、年寄りに薬湯の成分を聞いている。
これには迷惑そうな態度を隠しもしない年寄りだが、医者の免状持ちの男にはよく答えた。
カーンはぼんやりとその様子を眺めていた。
薬湯を飲ませ娘を横たえると、頭領の年寄りが目元を拭う。
そして娘の顔を縁取る藍色の模様を見ては、何事か呟いていた。
方言なのか大陸共通語では無いらしく、聞こえる限りさっぱりわからない。
涙を溜めて娘を撫でる姿は、癒そうとしているのだろうか。
もしくは、詫びか。
カーンは何気なく、その姿を眺める。
他に見るものも無い。
食事が終わり雑魚寝をする仲間達。
馬も煤けた天井の梁も、眺め続ける程の物ではない。
娘の顔の入れ墨は、芸術を解さない男にも美しく見えた。
花、蔓、藍色の筆書きのように白い小さな顔を縁取る。
目覚めない娘。
落ちて生き残ったのは、自分と娘だけ。
どうして助かったのか?
落ちて、どうして、おちて
その時、ひときわ激しく吹雪が戸を打った。
粗方、仲間と今後の予定を話し合い、吹雪明けに帰路へと結論する。
凍え死ぬより、確実に首を持ち帰るのが先決である。
囂々と吹雪く雪の音。
室内は暖かく静かである。
「ひとつお伺いをしてもよろしいか?」
首級の首を見つつ、頭領の年寄りが聞いてきた。
「御領主様方は、罪に問われますか?」
同じ言葉を娘に聞かれた覚えがある。
「早めに領主交代の届けを出すことだ。直系の跡継ぎはいるか?」
「問題はないかと」
「では、見聞きした事を忘れることだ。
人間、余計な事は黙っているのが得策だ。」
暖炉の炎に照らされて、年寄りの表情は影の中。
何か言いたいこと、問いたいことが他にもあるようだ。
カーンは相手が何を言うのか待った。
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