第685話 挿話 兵(つわもの)よ、剣を掲げよ盾を押せ (下)後編 ④

 夜は閉じられ、入り込むには中から開かねばならない。


 あの闇が北へと退くと共に、鳴き声は止んだ。

 残された男は、東南の湿気った風に吹かれながら揺れている。

 大門の前に近づき、そして。

 ゆっくりと取りついた。

 門横の石壁に、そそっと張り付き吸い付いた。


 人の動きではない。


 肩の筋肉が盛り上がり、蜘蛛のように手足が折れ関壁を登る。


「まだ、ですよ」


 サーレルに押さえられ、浮かしかけた身を落とす。


 うぞうぞと大蜘蛛のようにも見える姿は、あっという間に関の壁を越えた。

 聞こえる風の音には、何も無い。

 やがて、柵と門を開くべく滑車の音が闇夜に響く。


「開いた、ぞ」

「まだです」


 再びの制止に、男たちは開き始めた門を見やる。


 細めに開いた場所から、あの鳴き男が出てきた。

 ふらふらと風に吹かれるその様は、あの闇の影と同じく覚束ぬ歩みを北に向けていた。


 まだ、血は流れていない。


 ただ、鳴き男の後ろには、それに続く人影があった。

 俯き続くは関の兵士や男たちだ。

 男達も体を揺らし、酩酊したかのように夜に歩く。

 その姿が傾斜地の影になるまで見送る。


「アレも追うのか」

「当然です。

 今回は見た目だけ人族の者にしました。

 どうせ人種関係なく殺しにかかってくる奴らとわかりましたしね。

 体力自慢に足の早い者で揃えました。

 今回は、うまくやってくれるでしょう。

 ですが、祭りはこれからですよ。」


 鳴き男の姿は見えなくなった。

 だが、ちらりほらりと中から人が出てくる。

 後を追うように北へと向かう姿が見えた。


「問題は、これからなんですよ」

「オカシクなる、か」

「えぇ、あの奇妙な男が現れた後です。

 事件が起きた村の者が言うには、奇妙な声を聞いた後、オカシクなって出ていってしまう。

 出ていってしまうだけなら、不幸な話ですが恐ろしい事ではない。」

「変異は、いつ始まる?」

「残るのは無力な女子供と年寄りですね。

 そして苦しみながらも拒絶した男達。

 七転八倒するそうですよ。」

「拒絶した?何を拒んだんだ?」

「鳴き声は、言葉なんだそうですよ。

 私達には、鳴き声ですが、言葉として聞こえるそうです。

 こんなふうに」


 こよ、こよ、こよ

 古き盟約を果たせ

 こよ、こよ、こよ

 古き盟約により、血を寄越せ


「血だと」

「因みに、あの出ていった男達は、運が良ければ徘徊の後に戻ってきますよ。

 別人のようになってね。

 残った女達も体が徐々に弱り動けなくなる。

 子供や年寄りもね。

 そして抵抗し続けた男達は」

「どうなる」

「全身に焼けるような痛みを覚え、やがて正気を失う。

 失い、奇妙な姿に変異する。

 二分の一ですね。

 男が全員消えれば、変異前のナニカが戻ってくる。

 運が良ければ、せずに済むでしょう。

 ですが、多くが抵抗し残った場合」


 風が不意に息を止めた。

 ふっと力を弱め、静寂を齎す。


 あぁ、と誰かが叫ぶ。

 微かな、声が聞こえた。

 何かが割れる、小さな動き。

 ぎゃぁと何処かで絶叫が聞こえる。

 遠く関の奥からだ。

 微かに漂う焦げ臭さ。

 生臭い臭いは、関の中からだろうか。

 そして、届くはずもない言葉が聞こえた気がした。


 あぁ

 誰か

 あぁ、神よ

 お許しを

 あぁ、神よ

 お助けください

 子供だけは、お助けを

 あぁ誰か、神よ、どうか


「まだ、ですよ」


 信仰する神は違えども、呼ぶ声は同じだ。

 恐怖に慄く心に救いをと、死を恐れる心に神の慈悲をと。


「似非加工の失敗だと思うのですよ。」

「狂人の自滅だと?」

「加工技術は中央のモノです。

 流用し失敗した。

 高度な人体加工は無理でも、体内の共生生物なら技術的に可能と手を出した。

 ですが、人間以外でも生き物のは禁忌です。

 種族改変となれば、浄化ではなく、本格的な殲滅作業になるでしょう。」

「つまり中央は改変の痕跡があるなら調べ尽くせという指示か」

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