第595話 夏の空に言葉を喪う

 やがて目の前が暗くなると、奇妙なことに墓守達の姿が見えた。

 墓守の体を覆う蔦。

 その蔦が蠢き、小さな花が開いた。

 人を喰い、可愛らしい小さな花が咲く。


 お花

 お花

 きれいなお花


 蓮の花

 少女

 小さな子猫

 約束


 あなたの肩越しに見た、青い空

 どうか、どうか、皆をお赦しください

 あなたの生きる世界を守ってください


 輝く夏の陽射し

 青い空

 あなたの瞳と同じ空の色

 美しい世界

 私とあなたの愛する世界


 そして視界が戻る。


 異形の胸元に、大剣が深々とのめり込む。

 眼の前で、それは抉りこまれた。

 カッと金属が飛び散る。

 その身に触れた刀身は、見る間に腐食し崩れさった。


 敵わぬ。

 敵わぬし、を殺してはならない。


 術で作り出されたとて、これは役割神威を与えられている。

 それを愚かな人間が、邪魔をした。

 だから、このような事になっている。


 滅する事叶わぬのなら、どうする?


 同じく願うしかない。

 最初に不死の王に願った者と同じく、術に宿る神に願うしかない。


 怒りを鎮め、どうか生者までも刈り取る事をお止めください、と。


 都合が良すぎる?

 だが、今、襲われているのは獣人兵士達だ。

 彼らはこの地で誰の安寧も脅かしてはいない。

 支払いをするのは、この術を穢した者達で良いのではないか?

 それでもおさまらぬから、このような事になっている?

 それとも眼の前にいる者を滅ぼさねば済まぬのか?


 どうにかして願わねばならない。

 魂の行き先は別として、私、か。

 私の命が潰えたら叶うだろうか?


 崩れた剣から手を離す。

 距離をとる前に、鎌のひと薙を避けると、部屋の隅へと転がった。

 体勢を立て直すと仲間から剣を受け取る。

 そして再びカーンは構えた。


「旦那、降ろせ」


 やっとひねり出した言葉は無視された。

 聞こえなかったのかと、痺れる手で腕を叩く。

 するとカーンは、突然吠えた。

 唸り声ではなく、独特の声だ。

 すると獣人達も、それに答えるように大きく吠える。

 女も男も耳を立て、大きく高く吠え返した。

 そしてカーンは、大きく息を吸い込んだ。

 男の姿が見る間に変わる。

 誓約紋と同じような獣紋様、それが浮かんだと思う間に、ザムと同じく体が膨れ上がり獣面へと変わった。

 初めて見た。

 宮の底でさえ、カーンは人型のままだった。

 男らしい眉も、高い鼻の形も、薄笑いに歪む口も、そうと見分けがつくのだが。

 毛並みもすべて、あの冬の生き物そっくりだ。


 私は血反吐を吐きながら、あぁ、すごいなぁと感嘆でいっぱいになる。

 お陰で、こわい、という思いが消えた。


 すごいなぁ。

 獣人ってすごいなぁ。


 それから思い浮かんだ疑問に、私は笑ったまま意識を失っていく。

 死ぬ直前に思うこと。

 獣人の体の構造ってどうなってるんだろう?

 等と間抜けな話だが、どうでもよい事でいっぱいだった。

 私って、馬鹿だよな。

 死ぬ前に、グリモアに。

 この争いの手をひかせるように、交渉を、グリモアに。

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