第568話 陽が暮れる前に ⑤

 囁きを受けて、何かを見落としていると感じた。

 だが、つかめない。


 正面玄関は両開きで、雨が吹き込まないようにひさしがある。

 そこも緑の侵略が続いており、天井のひびから蔦が垂れ下がっていた。

 扉から中に入る。

 中は外観を裏切らない荒廃ぶりだ。

 いっそ芸術的なほどの崩れ方である。

 元は豪奢な玄関広間は、一部吹き抜けの天井から雨が落ちている。

 薄暗い屋敷の中ではあるが、その穴によってうっすらと中の様子が浮かぶ。

 穴を見上げる。

 色硝子の天井だ。

 破れて雨が流れて落ちているが、高価な品であった筈だ。

 やはり割れ目から緑が茂る。

 正面の階段には埃を被った彫像が置かれていた。

 足もとには崩れた内壁や天井の残骸が隅に寄せられている。

 男達の案内で右手の扉を開ける。

 元は客の案内を待つ部屋だったのだろうか。簡素な机と椅子が置かれていた。


「この階の右側通路に並ぶ部屋が使えるんだ」


 異形の蔦に巻き取られた者共を、その部屋に入れる。


「この者達は、ここで寝起きをしていたのかい?」


 ミアの問いに男達は頭を振った。

 玄関広間、外か中かもわからない場所で、不安そうに手伝いの男達はより固まっている。

 改めて数えれば、十五人。


「何処かから通っていたのかい?」


 男達が言うには、墓守は夜になると彼らを部屋に閉じ込めて、鍵をかけてしまうので、寝起きを何処でしているのかわからないという。

 鍵と聞いて、トリッシュが墓守の上着に手を入れる。

 巻き付いて蔦は、呼吸をするように脈打っていたが、他の誰にも今のところ攻撃を仕掛けては来ない。


 程なく、鎖で繋がった鍵の束が見つかった。


「何で、閉じ込められる?」


「金目の物もあるんで、夜に動き回られると困るって話で」


 この廃墟に金目の物があるのだろうか?

 確かに、建材の破片や何かは金になるかもしれない。

 それにしても、壁紙は湿気で黒ずみ、燭台の金属は禿げ錆びて溶け出している。


「お前達の仕事は何をしてるんだい?」


「この館の営繕の手伝いです」


「作業の様子はないが?」


「これから仕事師が来るんで、それまで泊まり込んで待っていろって話で」


「普通は造園する物や建築師が先に来て、予定を立てて資材を持ち込み、お前達のような手伝いが来るんじゃないのかい?」


「先に、寝泊まりできるようにしとけって」


「だが、お前達は、ここにいたくない。どういう事だ?」


 ミアの問いに、沈黙が返る。

 ダバダバと天井の穴から雨水が落ちる音。

 湿気と肌寒さ、それに男達の恐れが伝わり、私は身震いをした。


「ミア、寒がっている」


 カーンの呟きに、女兵士の耳が立った。

 振り返り私を見る。

 大丈夫だと頭を振ると彼女の目元だけ少し緩む。

 薄暗い中に灯る明かりのようだ、と、ふと思う。

 そして不安が増した。

 なにか起きて、彼らが傷ついたら怖い。


 また、ひとつ怖い事が増えた。

 グリモアの主であり、供物という定めから、恐れる必要はないと囁かれても。

 私は、怖い。


 ミアは再び男達に向き直ると、


「アタシはね、お慈悲を説く神の者じゃぁないんだよ。

 わかるかい?

 お優しい態度をしてもらいたいなら、お前らもそれなりの態度をとりな。

 礼儀には礼儀だ。

 わかるかい?

 事情を話せない、身元も証も立てられない。

 結構だ。

 なら、勝手にしな。

 お前らは、仲良く、そこでくだばりかけている奴らと一緒に仲良くしていりゃァいいのさ。

 いいかい?

 アタシらは何ら困らないんだよ。

 お前らがどうしようがね。

 親切で運んでやっただけの話だ。それにお前らと一緒で、何処の誰ともわからない。本当にコルテスの者かもね。

 結構、結構。

 ほら、解決だ。

 もう喋らなくていいよ、もともとどうでもいいしね。

 帰るとしよう」


 そう言って、笑って見せた。

 少しも楽しくない笑い顔であった。

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