第567話 陽が暮れる前に ④

 ミアが男達をしめ上げ、現状の把握に取り掛かるのが見える。

 そこから転じれば、視界全ては陰鬱な影に支配されていた。

 私はカーンに促されて、ゆっくりと瞬きを繰り返す。

 意識して、じっくりと館と庭、外壁、男達、尖塔と順繰りに見回す。

 問うのではない。

 目隠しを払うだけだ。

 手入れを怠った庭木が茂り、空が狭く息苦しい。

 だが、視界には何ら変わりはない。

 変わらず、この世は風に揺れる。

 大気は動き。

 空の雲は流れ。

 薄い陽射しが位置を変えていく。

 そして密やかな、気配。


 いる。


 人の気配。


 たくさん。


 いる。


 私は見回す。

 どこにいるの?

 ...

 ..


『たくさん、たくさん、お花が咲くよ』


 私は目を閉じた。


「山猫がいる」


 私の言葉に、ザムとモルドが武器を抜いた。


「ミア!山猫がいる」


 本来なら、人の集まる場所には現れない。

 けれど、それは楽しげに私に囁く。

 遊びましょう、と。

 山猫、ではないのか。

 無邪気で幼気な声音。


 ザムの警告に、兵士達も武器を抜いた。

 周りを見回すが姿はない。


「なぁアンタら、山猫って」

「黙っていろ」


 ミアの獣面が変化した。

 瞳孔が変化し、顔に模様が現れる。

 美し紋様が、彼女の方こそ山猫に見せた。


「いるね、臭う。獣のにおいだ」


 その言葉に兵士達の様相も変わる。

 皆、耳をぞばだてた。

 キラキラと瞳が輝き、眺める私は圧倒される。


『お花、お花、きれいなお花』


 その呟きとともに、山猫の唸り声が響いた。

 すると森の奥、遠くから犬の遠吠えがあがり始める。

 ひとつふたつ、それがどんどんと膨れ上がり、遠吠えとけたたましい声が耳朶を打つ。


「門を閉めろ」


 カーンの声に、腰を半ば抜かしたような男達が、慌てて扉にとりすがる。


「巻き上げもだ」


 男達を小突くと兵士達も堀の橋を巻き上げに走った。

 それからカーンはゆったりと歩き、閉じた門から森を眺めた。


「伝令の戻りは大丈夫ですか?」

「まぁ大丈夫だ。それに城塞のサーレルと行動を共にするよう言ってある。」


 鳴き声からして、大きな群れだろう。

 格子が下り門に閂が通される。

 程なく重い地響きと共に、巻き上げが終わった。


「消えたな。お前達、墓守達を馬から降ろせ」


 ミアから、墓守達を降ろすように言われた男達が、何か言いたそうにしながらも従う。

 消えたというのは山猫の気配だ。

 代わりに、この建物の周りには、祭りのように犬の声が聞こえた。

 この様子では、犬が散れるまで外には出ないほうがいいだろう。

 もちろん私達だけならば、問題ないだろうが。


 残念だね。


 と、考えたのは私だろうか?


 もう、逃げられないね。


 重たげな雲が流れて、ぱらぱらと雨が降り出した。

 昼前だと言うのに、雨は降り出すと栓が抜けたように土砂降りになった。

 雨を避けるために、館の中へと入る。

 犬の遠吠え。

 豪雨の中で唸り、遠吠えし騒ぎ続けている。


 もう、逃げられない?


 違うね。

 と、誰かが呟く。

 雨音に消えた言葉。

 私はゆっくりと目を瞬いた。

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