第430話 波路 ⑥
カーンはウォルトを部屋の隅に促した。
私はクリシィの側に立つと、携えていた小物入れから帳面を取り出す。
最後の願いを書き記すのだ。
同じような傷を持つ重症な者が四名。
クリシィと一人ずつ面談を続ける。
殆どが意識朦朧としていたが、一言二言残す事ができた。
親への詫び、妻への伝言、家族への言葉。
家財の処分や、心残りのある事々。
実用的な事柄もあれば、譫言のようなもの。
後悔、悲しみ、そして死への恐怖、痛みと苦しみ。
それでも、死に行く己への言葉よりも、家族や親しい人に会いたいという気持ちの方が大きかった。
故郷に帰りたかったという言葉。
ともかく、相手の気持ちに押し潰されぬようにと書きつける。
我慢強く聞き出すクリシィを見ながら、彼らの傷の状態も書いていく。
家族が知りたいかはわからない。
ただ、漏れ出す言葉を待つ時間が長かった。
四人を終えると、一旦休憩となった。
クリシィは集会場で彼らの面倒を見ている者と話し合うようだ。
私は帳面を彼女に渡すと、裏の洗い場に出た。
薄い陽射しが差し込み、潮風に吹かれる。
なんとか気持ちを立て直そうと試みる。
私は深呼吸を繰り返した。
苦しいのは怪我人であり、私ではない。
動揺し項垂れていると、水音が聞こえた。
水場には引き水がされており、ビミンと母親が汚れ物を洗っていた。
裏手には様々なガラクタが積み上がり、何に利用するかもわからない物で溢れている。
その真中に水場と小さな炉があり、木組みの簡素な小屋がかけられていた。
集会場の裏は、倉庫と倉庫の間にあるようで、挟まれた小さな空間から小さく切り取られた海が見えた。
海岸線へと続く小さな道は、砂地になる手前で、高い石積みの風よけがある。
海に出る為のこれもまた小さな階段があった。
その景色を見て、やっと心が落ち着く。
洗濯を手伝おうと母娘二人に声をかけた。
「もう、どうしたの、顔色が悪いじゃない!
ちょっと休まないとだめ。
ここの手伝いは私達だけで十分よ。ねぇお母さん」
「えぇそうね。
顔色が戻るまで貝殻を探してくるといいわ。
ただし、私達から見える場所でね」
と、珍しくレンティーヌがしっかりとした口調で言う。
「驚いちゃったのね。
でも大丈夫、彼らは迷わずに帰れるわ。
悪いことをしたわけじゃないもの。
誰かから奪ったわけじゃない。
誰かから隠した訳じゃない。
居合わせただけだから。
大丈夫、永遠に苦しむような事はないわ。
この世の全てに終わりはあるのだから。
いずれ、本当の罪人が裁かれるでしょうしね」
美しい笑顔で彼女は私に頷いてみせる。
どういう意味なのか?
と、聞けなかった。
彼女の笑顔はとても穏やかで空虚だ。
聞けなかったのは、そんな母親を不安そうに見るビミンがいたからだ。
そしてレンティーヌは、濡れた場所に入っちゃ駄目よと繰り返した。
それに私も頷くと、目の前の狭い通路に踏み出した。
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