第429話 波路 ⑤

 馬車から降り、杖をつく。

 荷物はニルダヌスとウォルトが降ろし、クリシィは馬を繋ぐカーンと話していた。

 ビミンと母親は、表の井戸を確認し裏手の出入りは何処かと話し合いながら集会所にさっさと入っていった。

 私はそれに続きながらも、出入り口で足がすくむ。

 立ち止まり、戸口で中を一度見回した。

 壁沿いに机椅子が寄せられ積まれてる。

 結構な広さの部屋に、簡易の寝台。

 天井の梁から紐で布を吊っている。

 布は仕切りで、それぞれに怪我人が寝かされているのだろう。

 金属の暖炉が隅にあり、それは湯を沸かしながら部屋を温めていた。

 全体は薄暗いが、寝台ごとに灯りがある。

 戸口が開け放たれていたのは、匂いがこもるからだろう。

 薬の匂い、それを上回る饐えた匂い、血の匂い。

 死の匂いが充満していた。

 振り返り外の平和な景色を見る。

 明るい陽射しの中で、馬が井戸の側で水を飲んでいる。

 汲み上げられた水を白茶けた桶で飲んでいた。

 馬車は集会所脇にある囲いの中だ。

 世話をする大きな背中は、馬を井戸側の木立に繋ぐようだ。

 馬を盗む者はいないという判断だろう。

 見るからに物騒な馬である。

 装備も普通ではないし、大きさも普通ではない。

 それに近寄って蹴り殺されるのは自由だ。

 ビミンと母親は裏手の水回りを確認している。

 先に働いていた商会の者といろいろ話をしていた。

 怪我人の様子を見てから、手伝いの後に街を見て回るという。

 私はクリシィの手伝いをするつもりだ。

 ビミンと母親が街に行くなら、ニルダヌスが一緒に行く。

 私も一緒に行くなら、カーンがニルダヌスのかわりに護衛につく。

 クリシィがそう決めたので、私は街に行かない事にした。

 別に、街を見に行きたい訳では無い。

 海が見れたらそれでいい。

 それにビミンはカーンを怖がって、微妙にいつも位置取りを遠くして動いていた。

 気が抜けない外出をする事もない。

 ウォルトがクリシィの手を引いて、怪我人の幕のひとつに導く。

 私は戸口でためらっていたが、彼らの後に続いた。

 匂いだけではなく、聞こえるうめき声に、竦んでいたのだ。

 それでも手伝いに来たのだ。

 何もせずに何も見ず、何も知らずに帰る事はできない。


 ***


 驚きを顕にしないよう振る舞うのに、歯を食い縛る。

 竦んだ私に、気がついたカーンが側に来た。

 それから横に立つと、幕の隙間から見える景色に同じく目を据えた。

 無惨な光景に慣れた男も、眉をしかめる。

 想像していたのは、欠損や爛れ、苦痛の姿だ。

 どんな光景であっても、怯むものかと覚悟していた。

 けれど、その傷、苦しみは予想以上に無惨であった。


 傷は開いていた。

 丸くて小さな傷だ。

 それが無数にある。

 顔は崩れてわからない。

 クリシィは話しかけた後、顔の大穴に耳を寄せた。

 そこが口なのだろう。

 人形ひとがたを針山に叩きつけたかのような、グズグスに崩れた肉の残骸だ。

 絶え間なく傷から膿と血が流れている。

 柘榴のように弾ける寸前まで、肉叩きで潰されたのか。

 これでは手当どころではない。

 これが船の衝突で?

 医者でどうこうできる状態ではなかった。

 そうだ、だから巫女様が呼ばれたのだ。

 すでに痛みも無いのか、混濁する意識のまま、ぼんやりと怪我人は横たわっている。

 クリシィは、そんな男の、これもまた崩れた手を取り耳元に囁く。

 魂の行き先と安らぎの世界について。

 信じない者には無意味な話だ。

 だが、このような無情で無惨な最後には必要だと思った。

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