第894話 モルソバーンにて 其の八 ③

 泥に沈んだ人々、バラバラにされ死を待つ人達。

 皆目を閉じて、眠っているのだろうか?

 どんな夢を見ているのだろうか?


 私は..

 ふっと指先を握られる感触。

 不死鳥の館で死んだ少女のすがる指。

 悲しみや混乱、恐れが流れすぎ、背後での争う音さえ遠くなる。


 ふっと過ぎ去る風の如く、一時の悲しみは消え失せる。

 人の柱を見上げて思う。


『欲をかくのも人だ。

 人を憎むのも人だ。

 幸せなになりたいと誰もが思うのもわかる。

 けど、これは駄目だ。

 こんな行いを許す人間は駄目だ』


 次に吹き付けるは、憤怒の嵐である。

 己の中に湧き上がるは、生まれて初めての大きな海練であった。


(何に怒っているか、教えてくれるかな?)


『どうして魔導を選んだか、わかったぞ。

 神を選んだのではない。

 隠せると勘違いしたんだな。

 嘘を隠せると思ったんだ。

 殺して奪っても、魔導なら誰の手による術かはわからないと思った。

 神官には読み取れまいと侮った。

 神官ならば悪神の思し召し、人の愚かしさではなく、異界の神の思し召しとなるだろうと。

 だが、お前たちが言う通り、これは人が招いた事だ。』


(ふふっ)

(うぅむ、くっ、くくっふっふははは)


『何がおかしい!』


(ここで君が、助けなきゃ!

 皆を救わなくちゃ!って言うと皆思ってたんだよ。

 あぁもちろん、君はちゃんと思ってる。

 悲しんでいる事も伝わっているよ。

 君が間違ってしまうと思っていた、僕達が悪いんだ。

 

 君は、間違わなかった。

 素晴らしい!


 君は、眼の前の理不尽に怒りを覚え、命を救おう等という世迷い言をほざくことはしなかった。

 さすがの爺婆も、正答にニッコリだ。ふふっ


 そうだね、呪術師であるなら、こんな無様な仕業は許せないね。

 ここに至ったのは、王家が差し向ける神官や巫女ではなかった。

 供物でありグリモアの主であり、呪術師の君だ。

 魔導による隠蔽など、我々には無駄な事だ。

 我々にとっては、愚か以外の何者でもない。

 己を削りもせず、誰が仕業かも隠そうとするなんてね。


 では幾度も幾度も同じことを聞こう。

 君はどうするかな?教えてほしいな)


 どうするか?

 問われ、何を試されているのかわかる。

 私が、どうしたいか?という意思の確認だ。


 善良な者ならば、楔を焼き尽くして終わらせるだろう。

 愚か者ならば、誰かに罪を肩代わりしてもらうのを願う。

 賢い者ならば、術を解き人の手へと戻すか。

 では、私なら?


 邪悪を知るグリモアの主ならば、どうしたい?


 ***


 軽く剣を打ち合うと、カーンは少し後ろに下がった。

 同じ動きを相手は返してくる。

 それを見て取ると、今一度、カーンは手首をくるりと回した。


 構える。


 彼は、ふわりと一歩を踏み出した。

 そしてゆっくりと剣を水平に振る。


 ゆっくりと力みのない一振りに見えた。

 しかし、それは神速の振り抜きであった。

 異形が反応を返す前に、その素っ首はコロリと落ち。

 あまりの素早さに、遅れて切口から黒い血しぶきが吹き上がった。

 相変わらずの業前だ。

 カーンは、倒れる体を避けると後ろに下がった。


 一体の始末が終わると同時、イグナシオは異形の腹を抉っていた。

 堅い手応えなのか、剣は深々と突き通り抜けぬようだ。

 舌打ちをすると、彼は相手を力いっぱい蹴り飛ばす。

 腹を抜き、技巧も何も無い前蹴りだ。

 相手の反応がそれほど速くない事もあるが、不愉快な出来事に怒りが押さえられないのだろう。

 壁に染みをつくった相手に追撃を加えようとして、再び彼は舌打ちをする。

 異形は既に絶命したのか、床に崩れて動かなかった。


 残るはザムだ。

 彼は剣の握りを持ち替えた。

 逆手に握ると、奇妙な構えをみせる。

 敵も同じく構えなぞるが、どこか戸惑っているように見えた。


 そうして皆が見守る中で、ザムは逆手に持った剣を引き回す。

 剣舞のように胸の前での引き回しだ。

 それに相手も、同じく斬りつける動作を見せた。

 と、ザムが素早く接敵し、角度を変えて擦り抜ける。

 すっと体をかわして背後を取ったように見えた。

 正直、早すぎて見えない。

 背後に回り、元の逆手の構えに戻る姿だけが目に映る。

 勿論、それだけではないのだろう、相手はザムが背後をとる間もなく倒れた。


 よく見れば、顎下から短刀が頭蓋に向けて突き刺さっている。

 逆手の剣が囮で、死角から刺し貫いたようだ。


「弱っ」

「虚仮威しか」


 男達の余裕の言葉に、私は息を吐いた。

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