第511話 遡上 ②

 あくまで訓練である。

 そして彼らも仕事である。

 そう言われれば、少しは気が楽になった?ならないか。

 ミアの説明の間に、金柑を取り出す。

 すると無意識にカーンは手に取ると皮を剥き、実を私に渡す。


「質問、いいですか?」

「何だ、ユベルノート」

「巫女さんはぁ、団長の隠し」


 凄い音がした。

 金柑に気を取られていたが、顔を上げると土煙が上がっていた。


「えっ、何ですか?」

「気にしなくていい」


 カーンの向こう、笑顔のミアが片手を振っていた。


「気にしないでください。少し大きな虫を払っただけですから」


 土煙の向こうでうめき声が聞こえる。

 私の目線を辿ったまわりからは、気にしなくていいという言葉を再度頂いた。

 皆、笑顔である。

 私は聞くのを止めて、金柑に取り組むことにした。


 ***


 早朝、と言っても未だ星あかりの中、野営地を出発する。

 騒がしい夜だった。

 そして今も、騒がしい。

 夜間訓練は継続中だ。

 ちらりほらりと灯りも見える。

 派手な炎と、何やら爆音もだ。

 死人は出ないというが、中々に激しく、怪我人はでるだろう。

 そんな事を寝ぼけて考える。

 着込んだ外套の頭巾ずきんを目深に下ろす。

 今日は小雨だ。

 風はいでいる。

 湿地の高温の源泉のお陰か、凍えるほどではない。

 私はカーンに寄りかかったまま、暗い世界を眺めた。

 近頃では、意識せずとも暗闇が見通せる。


 湿った空気、遠い地平。

 海は既に遠く、その地平はおぼろかすみが広がっていた。

 暗い空、群青色に灰色の霞。

 点々と平らかな大地に黒い木々が突き立っている。


 何やら不思議な気配が満ちていた。

 小糠雨こぬかあめが降るというのに、時々、暗い空に星がきらめく。

 静かで、風の音でさえ何かの歌のように思えた。

 荒涼としているのに美しい。

 ふと、そんな感慨が浮かぶ。

 美しい夜だ。

 美しい。

 何故か、私の心よりも、誰かが深く感じ入っている。

 私ではない誰かが、その美しさに心を揺らしていた。


 やがて泥の湿地から乾いた大地が多くなる。

 下生えのくさも枯れ草から、棘を含んだ低木になった。

 大気も徐々に湿度が下がり、体が知らず震える。

 寒いと思う前に、カーンが己の外套下に私を抱えなおす。

 さっと包まれて視界が闇だ。

 慌てて隙間を見つけ、目の部分だけ覗かせる。

 隊列は二つ。

 私達を前後に挟む形だ。

 殿は、ザム。

 ロードザムと呼ばれる入れ墨の男の分隊。

 先頭がトリッシュ。

 パトリッシュエイクの分隊が道を開く。

 道は殆ど消えかけていた。

 ミ・アーハバザム、ミアは私達の側で指示を出している。

 人の息遣い、草を折る音。

 やがて風と雨の音以外に、水の流れる音が混じる。

 その頃には空は少し明るくなり、白い線を奔らせていた。

 音は溢れ、風に景色は揺れるが、静かと感じる。

 空に鳥はなく、川面は黒々と光り、その先の景色は霞んでいた。

 川が見えた辺りから、背の高い木々になった。

 踏む草に苔が混じる。

 野草は瑞々しく、それでいて冬の為か花も実も無い。

 相変わらずの道とは見えぬ場所だが、それでも何とか速度を落とさず進んでいる。

 護衛という名目だが、彼ら兵士に立ち塞がるは自然のみだった。

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