第328話 群れとなる (上)②

 これ以上は、泣き言になる。

 私はカーンを見つめた。

 カーンも私を見ていた。

 けれど、その表情には何も浮かんでいない。


「ここにいるお前は、嘘だというのか?」

「そうですね。

 私は、もういないのです。

 逃げようと思った。

 ひとりで生きて死ねばいいって思った。

 けど、もう嫌になった。」

「何を言っているんだ、意味がわからん」

「私は、もう、いない」


 獣の瞳が眇められ、承服しかねる表情になる。


「グリモアとは恐れ入るね。なるほど、死者が蠢く道理がそれか。

 なるほどね、なるほど興味深い。それでか、それで北に向かったのか」


 静かな言葉に、私は再び神官を見た。

 彼はこめかみをさすり、少し考えてから続けた。


「君はボルネフェルト公爵と会ったんだね。

 どういう状況で会ったのかな?」

「最後の時に」


 私達の会話に、男達は再びざわめいた。

 カーンの体に力が入るのを感じる。


「彼が滅する時に、グリモアを渡されました。

 私が滅ぶまで、これは共にあるでしょう。

 旦那、大丈夫です。

 公爵は人として滅したのです。

 彼の人は、死にました。」

「何故、黙っていた。それにグリモアとは何だ?」

「何と言えば良いのでしょうか?

 死んだ事には相違なく、何を告げればよいのでしょうか。

 グリモアにしても、私はひとり生きて死ぬだけの事」

「そのグリモアとは何だ、あの罪人とどう関わるのだ。」

「ちょっと待ちな、考えを整理する」


 神官は指をあげると、会話を遮った。

 そして暫く考え込んでから、口を開いた。


「グリモアとは奥義の書物の事だ。

 呪術師であれば、術儀式の書物。

 魔導師であれば、魔方陣の書物。

 いずれも、架空の知識の書物だ。

 架空としたのは、呪術は宗教統一で否定され、魔導は異端とされたからだ。

 だが、君の言うグリモアとは、この架空の書物ではない。

 ボルネフェルトが扱っていたグリモアだ。

 死者を語らせ、理を動かす書の事だ。

 呪術を実践する力であり、魔導をも利用できる技術であり、死者を語らせ、理を構築する。

 過去と未来を繋ぐ古の力の源泉、予言オラクルの書。

 私が知るグリモアならば、ボルネフェルトが喰われ滅ぶは、必然だ。

 古い神が与える力は、特別な者だけが扱えるのだ。」


 ほぼ言い当てられた私の驚きが伝わったのか、神官は薄く笑った。


「これでもね、最高位の神官なんだよ。

 だからね、私の言葉をよく聞きなさい。

 君はボルネフェルトではない。

 君が魂を捧げたとしても、彼のような事にはならない。」

「どう、違うのですか?」


 イグナシオが恐る恐るといった感じで聞く。


「人と人の付き合い方と同じだ。

 約束には誠意を示さなければならない。

 例えば、己を惜しんで死者をあてがうのは詐欺だ。」


 首を捻る男達に、神官は鼻で笑うと私に告げた。


「君の住処には、君の魂だけだ。

 君はいる。

 ここにいる。

 変わる事無く、グリモアと共にあったとしてもだ。

 君はボルネフェルトにはならない。」

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