第378話 幕間 牢屋にて ④

 グリモアの宿主が、奴隷を必要としていない事だけが救いだ。

 こんないい歳をした男が傅くのを喜ぶような娘はいないだろう。

 怖がるか、気持ち悪く思うに違いない。

 自分だったら最悪だとジェレマイアはゲンナリする。


「使用人も大勢いるし、空いている部屋などいくらでもある。

 彼女が成人をするまで面倒を見る?

 うむ、素晴らしいな、何がお好みであろうか」


 カエルの鳴き声のような呻きが、そんな戯言を遮る。

 無言で今度は足が振り下ろされたのだ。

 柘榴のように弾けずに済んだのは、単にオロフの頑健さ故だ。


「こ、コンスタンツェ、さま。

 お願いしますよぉ、空気、読もうよ?

 空気、俺、まだ死にたく、ないっすよぉ」


 陸にあがった魚の如く、ビクンビクンとしながら訴える。

 オロフが洒落にならんと肉体強度をあげつつ命乞いである。

 必死に言うが、言われた男は他人事のようである。

 こうなるとジェレマイアは、護衛仕事のオロフが憐れに思えた。

 まぁそれも仕事の範疇を越えた行いの報いなのだが。

 そして当然、その報いは死をもって償うべしとする男は無言だ。

 無言で数度踏みつけた。

 オロフは弾けなかったが、寝そべる床に罅ができる。


「床の修繕費も払えよ」

「うむ、目の使い方が分かってきたぞ。卿の動きが少し見える。靴裏にあるのは滑り止めなのか?重くは無いのかね?」

「違うでしょうぅ!そこ質問ちがうぅう」


 その脇腹には、肋をへし折る勢いで軍靴が乗っていた。

 軍靴には金属板で補強がされており、見たところ靴裏の滑り止めは切れ味が良さそうな刃があった。

 その様子が分かっているだろうに、コンスタンツェは微笑んで小首を傾げている。

 物腰はお茶会の席に座る貴族様だが、寝間着に大穴が開いているので狂人にしか見えない。


 螺子が緩んだコンスタンツェ。

 ふざけた調子だが、そろそろ本気で命乞いをしているオロフ。

 無表情で、多分、激怒しているカーン。


 ジェレマイアは項垂れた。

 ボルネフェルトの信者は、理性の無い人形だった。

 視れば無惨としか言いようのない有様である。

 そして彼の者が手を下し、死を歪められた者達は、皆、酷い腐れ具合であった。

 グリモアの支配とは、陰惨無惨なものである。

 これは正しい者が手にしていない場合、その使用者を呪うからだ。

 決してボルネフェルトのまわりの被害を指しているのではない。

 ボルネフェルトが呪われるからこその、結果なのだ。

 と、ジェレマイアは考えている。

 決して、こんな間抜けな状態にはならない。

 カーンは何処までが呪いの影響なのか不明だ。

 呪いが無くとも、請け負った任務での苛烈な処断は元からだ。

 むしろ殺していないだけ、理性が働いている。

 そしてコンスタンツェの精神支配は、好意を極限までに高めているだけのようであり、それによって倫理観がどの程度壊れているかは不明だ。

 これは要観察であるが、見たところ元々の性質はそれほど変化していない。

 元々、オカシイし。

 因みに、オロフにも呪いの繋がりがうっすらと見えている。

 こちらはカーンの仲間と同じ呪い繋がりだ。

 この馬鹿が可哀想で、ジェレマイアは言うべきかどうか悩む。

 眷属の護衛をしているのだから、縁を考えれば繋がりは切れないだろう。

 つまり、知らないほうが幸せだ。

 護衛対象と一緒に厄介事に巻き込まれるだけなのだから。

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