第724話 人の顔 ⑭
公爵は、優しい声音で続ける。
「私達、東マレイラ人は、元々西にて暮らしておりました。
ですが、今現在の西を知っていればわかることですが、長命人族にとって西の世界は厳しく、生きていく事ができなかった。
もちろん、自然環境だけが原因ではありません。
私達は敗残者だったのです。
今は無い西の国があり、そこにて大きな戦の末に追い出されたのですよ。
兄弟氏族が逃げ落ちて、たどり着いたのが東の土地でした。
中央王国が現在の場所にできる前の、昔々ですね。
東の端まで、海辺まで来た理由はわかりません。
ただ、いろいろな理由があった。
中央の平原や今の都に居を置かなかったのは、争いごとを避けたのかもしれませんし、ここに豊かな資源があったからかもしれません。
同じ人族がいなかったから、かもしれません。
ですが代わりに、昔話には水妖が登場するわけです。」
公爵は、私を見た。
目元だけが少し笑っているかのように、緩む。
そして口元は相変わらず皮肉げに歪んでいた。
「確かに今、おかしな事が起きているのでしょう。
えぇ否定はしません。
確かに、おかしな出来事が起き、深刻な事態といえる。
ですが手段や結果が異常であろうと、原因は人間なのです。
恐ろしい事が起きたとしても、それが得体のしれぬ化け物であっても、その化け物を呼び出しているのは人間なのです。
神がお出ましになったとしても、その怒りを呼び覚ますのも人間なのです。
死者が蠢く?
死者であろうと元は人間です。
化け物が出た?
愚かな人間が何かをしたのでしょう。
地獄の悪魔よりも、悍ましい所業をするのが人間です。
何が恐ろしいのでしょうか?
戦をし、女子供を飢えさせるのは魔物でしょうか?
神の怒りに触れたから?
違います、戦をし田畑を焼いているのは人間です。
ニルダヌスとやらが言う事も同じですよ。
魔導の者は人間でないかもしれない。
ですが選んだのは、そこのニルダヌスという人間です。
私が妻を失った原因は、人間が放った憎しみの矢でした。
間抜けな私が囚われて寝過ごしていたのは、人間の憎悪でしょう。
異形が恐ろしいとしても、それが何でしょうか?
如何な怪異な出来事であろうと、この地上にて争うは人間のみなのですよ。
手段や結果が理解できずとも、原因は人間なのです。
お若い方々は、つい目先の派手な事象に気を取られるでしょうが、異端の教えにより異形が襲いかかってきたという都合の良い話など早々ないのです。
異端の教えであろうと異形であろうと、それをひねり出しているのは人間なのです。
ひとつ東の人間代表であるこの私、オールドカレムの末裔が東マレイラ人というものをお教えしましょう。
物事がうまくいかない時に、その人間の本質はあらわになります。
家に物取りが入ったとしましょう。
コルテス人は、シェルバン人を疑います。
シェルバン人は、コルテス人を疑います。
ボフダン人は、両方を疑うのです。
ですが、私達東の人間は、こう言うのです。
水妖が出たのだろう困った事だ、とね。」
長々と喋った公爵に対して、ニルダヌスは微笑んだ。
彼は公爵と目を合わせ、しっかりとした視線を向けた。
まるで今目覚めたかのように、公爵を見つめ、それからゆっくりと頭を下げた。
「どのような異教、まやかしが横行していたのですか?」
「業病に効く神の水。
水底に沈んだフォードウィンが涙を飲めば、痛みも苦しみも無くなるというものです。
人の心にある不安を打ち消し安らかになれるという話でした。」
それに公爵は鼻を鳴らし、声を出して笑った。
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