第471話 金の記章 ②

 どうする?


「手荷物はありません。」


 内緒の遊び。

 誰にも内緒だ。

 誰にも言ってはいけない。

 誰にも縋ってはいけない。

 一人で歩いて、一人でたどり着かなくちゃ。


「わかりました。巫女様、きちんと言いつけの事をいたします。」

「気をつけて、お帰りなさい。それときちんと体を休めるのですよ」

「はい」


 きっと、最後もひとりだろう。

 占い師の子も言ったじゃないか。

 怖いことはないんだ。

 宮の主の元へ行き、水晶の椅子に座って眠るのだ。

 差し出された真心を拒むのは私だ。

 沈黙を選んだのもだ。


「杖は、あそこにありますね。とってきます」


 だから、ひとりでなんとかしなきゃね。

 そうだ。

 一旦帰れば、少なくともカーンも砦の中だ。

 明日、ニルダヌスに頼もう。

 カーンがいなければ、なんとかなる。

 明日は、きっといない。

 一人で見極めなければ。


「お待たせしました。さぁ帰りましょう、旦那」


 カーンは、何も言わなかった。

 ただ、踵を返す私を掬い上げた。

 片手で引き寄せ腕に乗せると、怪我人の並ぶ場所の幕をサッと捲くる。

 そうして中に身を滑り込ませると歩を止めた。


「何故?」

「何故だろうな」


 そこには相変わらず、苦しみ横たわる姿がある。

 意識は既に途切れ、私達に気付く様子はない。

 荒い呼吸が辛さを物語る。

 それを睨み吸える男を他所に、私は奇妙な感覚を覚えた。


 熱い?


 触れる場所から繋がる。

 傍らの男の呼吸、鼓動、血の脈動。

 皮膚が繋がり、肉が一つになったように感じた。

 ドクドクと血管が繋がり、お互いの血が巡る。

 皮膚が痛い。

 体の芯に熱が集まり、冷や汗が出る。

 苦しい。

 息ができない。

 自分の息は、相手の呼吸になった。

 グリモアか?

 グリモアなのか?

 視界が揺れ始めた。


「戻りましょう、もう、いいんです。私だけ」


 体から力が抜けていく。

 確かなこと?

 確かなことは、傍らの男の体の震え、血の熱さ。

 名を呼ぼうとした。

 狭まる視界に、伸びる牙。


「あぁ、そうか、そういうことか。言えねぇよなぁ」


 何を見ている?

 グリモアは喋らない。

 何を、見ているの?

 グラグラと煮え立つ血の流れに朦朧となりながら、ぽつりと心に落ちるものがあった。


 あぁ、そうか。

 この人は、信じた。

 疑わしく得体の知れぬ私を、信じたのだ。

 何も言わぬ嘘つきの、何が嘘を言わせるのか。

 ずっと考えていたのかな。

 そうして何をするかと見ていた。

 心配したんじゃないといいそうだね。

 でもきっと、心配してくれたんだね。

 また、一人で死にかけるのではと思ったんだろうね。

 優しいね。

 優しいなぁ。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 信じてくれたんだね。


 私を信じてしまったから、この世のあるべき場所からこぼれた。

 グリモアの感化ではない。

 これは呪いだ。

 宮の主の呪いだ。

 呪いが、手を伸ばした。

 この人を捉えようと。


 供物は、我々は、見て回らねばならない。

 人の世に起こる事を。

 醜く、欺瞞に満ちた、人らしい世界を。

 だから、私が見たモノを、彼も見てしまった。

 男達の、彼らを取り巻く不安と懸念を。


 死者達は、私達を見つけた。

 そして、彼らを見つけた。

 隠れんぼは終わってしまったのだ。

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