第470話 金の記章

 集会場が見える場所まで戻ってきた。

 カーンの馬が退屈そうに桶の水を飲んでいる。

 湿気の増した空気は、かろうじて涙を流していない。

 溜息をつきそうになり、かわりに大きく息を吸い込む。


 そう、戻ってきた。

 

 向き合わねばならぬ事。

 心の中に螺旋を描く思い。

 色々な感情を宥めながら、静かな景色を見る。

 ゆるい潮風、揺れる枝葉、煉瓦の壁。

 集会場の前の通りには、細長い椅子が置かれている。

 そこにレンテとビミンの母娘が座っていた。


 仲の良い家族の姿だ。


 ぼんやりと私が見ていると、カーンが何気なく言う。


「あまり、信じすぎるな」


 意味を測りかね、傍らの男を見る。

 だが次の言葉はなかった。

 私達はそのまま母娘の前を通り過ぎ、集会場へと入った。


 ***


 既に、船員との面談は終わっていた。

 ウォルトとクリシィの二人が、事務所らしき場所でお茶を喫している。

 私達に気が付き、二人は会話を止めた。


「街はどうでしたか?」


 微笑みながらのクリシィの問いに、不手際を思い出した。


「はい、珍しい海辺の街を見る事ができました。

 ご配慮ありがとうございます。

 ですが、私の勝手で巫女様のご予定もですが、ビミン達の予定も潰してしまいました。気が付かず、本当に申し訳なく」

「謝る必要はありませんよ。

 配慮が足りない私の不手際です。

 それを卿のお気遣いで救っていただきました。

 閣下、ご配慮、ありがとうございます。」


 と、逆にクリシィは礼をカーンに伝えた。

 それに彼は一つ頷きを返すも、話を断つようにウォルトが言葉を挟んだ。


「大丈夫でさぁ。

 これから暫く、巫女様はぁこちらに逗留の御予定だ。

 バーレイの親子もご奉仕さぁするんで、街なんぞいつでも見れますよ。

 お嬢様はぁ上に戻って、少し養生したほうが良さそうだぁ、なぁ団長殿」


 既に私だけ、先に帰る話になっているようだ。

 動揺したと思われたからか。


「大丈夫です、クリシィ様。私も何かお手伝いを」

「では、私が留守の間、教会で書庫と書斎の資料の整理をお願いしましょうか。

 勿論、急いでいないから、体の調子を見ながらゆっくりと取り組みなさい。

 私への取次は、手紙にしてニルダヌスに渡すように。

 いいですね、他にも困ったことがあるなら、すべてご奉仕で参られる卿のお仲間に相談なさい。

 それから食事に関しては..」


 どうする?


「では、今日だけお側に」

「お嬢様はぁ上に戻りなせぇ、その方がえぇよ。バーレイも今夜はこっちだ。今なら団長が送り迎えだぁ贅沢な送迎で、滅多にねぇこったぁ」

「そうね、ニルダヌスも今夜はこちらに残ってもらうつもりよ」


 渋る私は仕切の向こう、天幕を透かし見る。

 うめき声はしない。

 不思議と静かで、横たわる怪我人の気配は薄い。


「気になるのはわかるわ、でもね、貴女は帰りなさい」


 そんな彼女の瞳は、冷たく輝いている。


「神が人を知るように、人もまた己と語らえば神を知る。

 神とつながる者は死を恐れとは思はない。

 神とつながる者は失わぬ者になるからです。

 貴女は、失わぬ者になるには、まだまだ学ばねばなりません。」


 それから彼女は、困ったように付け加えた。


「貴女が本当に弟子であったなら、そう諭すでしょう。

 弟子になりますか?私は大歓迎ですよ」

「これは連れて帰る。ほら、手荷物はあるか?」


 床に降ろされ、私は三者を見回す。


 どうする?

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