第592話 幽鬼 ④

 囂々と風が吹き、黒衣を靡かせた異形の者が歩む。

 小山のような異形は、腰を折り静かに歩を進め音をたてない。

 音がするのは、その荷物があまりにも大きく長く重いからだ。


 ずるり、ずるりと引きずられるそれは、血肉の筋を刻んでいく。


 黄泉の縄目に囚われた、人の死骸が魚の干物のように連なっていた。

 老若男女、何れも苦悶の表情を浮かべ、舌を垂らし、目を剥いた酷い有り様だ。

 それが首や手を絡ませて赤黒い紐に繋がれ、引き摺られている。

 あまりの長さに、ずるずると血肉の川を広げているのだ。


 片手に人の肉の綱、片手に大鎌を持ち、それはゆっくりと歩く。


 漆黒の異形は仮面のような白い顔に、奇妙な紋様が刻まれていた。

 生き物というより彫像のようである。

 人のような形、儀式服のような黒衣。

 羽の生えた魔物の彫像が動いている。

 歩みは遅く、不自然な揺れを伴っていた。

 異形の黒い翼は歩むごとに羽ばたき、その羽先からは啜り泣くような声が聞こえる。

 先程の靄の姿は幻に思えたが、こちらはやけに生々しい。

 赤黒い流れは現実を侵食し、私達の足もとをも変えていく。

 血の川。

 異形の葬列。

 次々と闇から幽鬼が立ち上がり、黄泉の岸辺に私達は立つ。

 大太刀を担いだ骨。

 それに続くように紅い雫を纏った骸骨が起き上がる。

 何れも死霊、幽鬼の類か、甲冑や鎧の残骸を身につけていていた。

 その兵隊は、歩む異形に従い歩き出す。

 彼らも先の靄と同じく行き過ぎるのかと思いきや、広間の中程で立ち止まった。

 どうやら霞の術とは違い、我らを認識しているようだ。

 それは立ち止まると、囲む私達を見回した。


 マヨイし タマシイ ヲ ここへ

 朕 トコシエノ 御国へセンドウス


 一瞬の動き。

 私には何の予備動作も見えなかった。


 彼らは誰も驚きもせず、死霊の攻撃を受けた。

 それぞれに刃を、剥き出しの歯や爪を捉え返す。

 兵士達には恐怖も混乱も無く、戦闘は唐突に始まった。

 死霊達の動きは遅く、兵士達の動きは素早い。

 次々と脆い骨は打ち砕かれ、血の川へと沈んだ。

 すると再び、闇の中、血の流れから骨の姿が這い出してくる。

 きりがない。

 それに死体を燃やす油薬が叩きつけられた。

 血の川は、炎の流れになり、耳障りな悲鳴を上げて死霊が焼け焦げていく。

 するとそれを見ていた異形が、片手の大鎌を振りかぶった。

 ザムが警告を発し、皆、壁際まで後退する。

 私とカーンは、ザムとモルドに挟まれて後ろにさがった。


 ごうっという音と共に刃が通り過ぎる。

 刃はすべてを断ち割るのか、目の前の空間、領域までもが揺らぎ、黄泉の景色が歪んで割れた。

 辛うじて皆避けると、獣人達は不思議そうに異形を見た。

 私からすれば、彼らも不思議だ。

 皆、一様に恐れよりも、見たことも無い昆虫を見つけたような表情を浮かべていた。

 だから、私は思わず気を抜いてしまった。

 彼らなら大丈夫だ。

 彼らなら負けはしない。

 等と、馬鹿な事である。

 油断するなど。


 異形は大鎌を戻し、私達を見回し口を開いた。

 黒い穴だ。

 言葉は人の耳では拾えない。

 だが、私には聞こえた。

 歌だ、囁くような..

『呪歌だ、魂をしばられるぞ』


「耳を塞いで!」


 警告は遅く、兵士達は体を硬直させると武器を取り落とした。

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