第593話 幽鬼 ⑤

 異形は歌う。


 再び、血の川から死霊の兵士が起き上がる。

 遅い動きでも、体が硬直していては抵抗できない。

 私の体も痺れ始めた。

 指先から体の芯へ向けて、徐々に凍りついていく。

 すると、傍らの男が大きく息を吸い込んだ。

 ギリッと歯ぎしりが聞こえ、抱える腕に力がこもる。


 唸り声だ。


 低い唸り声が体の震えとして伝わってくる。

 痺れたまま、やっとの事で傍らの男を見上げた。


 白い瞳が割れ、狂った朝焼けの色が見えた。

 獣面と呼ばれる紋様が顔に浮かび、犬歯が牙のように伸びていく。

 その低い唸り声が響くと、周りの男たちの体が跳ねた。

 ぶるりと頭を振ると、目前の敵に向けて同じく牙を剥く。

 やがて獣人の兵士達は唱和するように唸り吠え、体を撓めるようにして力を込めた。

 近くで棒立ちになっていたザムは、一際大きな唸り声をあげると体がふた周りほど大きくなり、それまで人族に近しい姿が、見る間に先祖がえりと呼ばれる姿へと変わっていった。


 呪歌が広がると吠え声が打ち消す。


 躍りかかる骨の兵士に、動きは遅くなったが、獣人達は再び応戦の構えをとる。

 拳を振り上げ、取り落とした武器を拾い、敵を砕く。

 威嚇するような唸り声もあげて、呪縛を追い払っているようだ。


 よかった。


 呪歌の効果が無いと分かると、異形は鎌を振り上げた。

 ギザームという武器を実際に見たことが無いので、異形の武器が同じなのかわからない。

 けれど人間を一振りで両断できると見ただけでわかる。

 再び、私達は壁際に後退する。

 その応酬が幾度か繰り返された。

 対峙するのが獣人族であったから耐えられただけの消耗戦だ。

 それでもこれを夜明けまで続けることは無理だ。

 

 どうしよう。


『他人を心配するより、君が先に死ぬよ。

 体が冷え始めて、そろそろ喋るのも辛いでしょ。

 さぁ、僕たちを使う時だ!』


 何を支払うの?


『そりゃぁ不死の王の業に逆らうんだ、彼ら自身が支払うのさ』


 嫌だ。


『じゃぁ大義名分だ。

 彼らを救うためさ。

 このままじゃぁ勝ちは見えないよ』


 勝ち?


『そうさ。

 この眼の前の化け物を殺すんだろ?』


 嘘つき。


『..ふふふ』


 凍え痺れ始めた私の中で、不意に持ち上がるのは、強い疑念と反抗心だ。

 自分でも不可解であったが、彼らの囁きに嘘を感じた。


 確かに、ここで朽ち果てるには心残りがある。

 死ぬのは、やっぱり怖い。

 でも、間違いを選びたくない。

 私の間違いで、誰かが死んだら嫌だ。


『では、知識グリモアに問うのだ』


 不死の王

 不死の王とは、死霊術師が最終的に望む姿だ。

 では死霊術師とは?


 死霊術を極めた呪術師の事だ。

 だから呪術師と死霊術師は、王国では同じとして扱われる。

 つまり、呪術師とはよくない者と普通は思われているのだ。

 これは宗教統一の影響もある。

 前時代が呪術文化であった為だ。

 呪術師とは支配層を指していた。


 今はその話題は必要がない。不死の王の話だ。


 では、死霊術とはなにか?


 死を研究する者だ。

 これは神に逆らう術だと勘違いする者も多かろう。

 だが、これは理の中での死の正しい道筋を描く力だなのだ。

 死者を活用したとしても、それは死者である事を変えてはいないのだから。


 その話も違う。不死の王自身の話だ。


 死を超越し、死を研究する者。

 運命を司り、水の象徴、精霊でもある。

 過去の不死者の王は、水の性質を備えていた。

 魂を研究する者であり、死、そのものとも考えられている。

 生者は特に近寄ると命の炎が尽きる。

 人の欲得とは、王となった時より切り離される。

 故に、理の受け皿から逃れた者、つまり不死の者である。


 つまり、滅ぼす事、叶わぬ神である。


 では、その不死の王が敷いたと覚しき術の目的だ。

 欲得をもたぬ王が、何を目的に力を振るった?

 この眼の前の幽鬼の行軍に意味は無いのか?

 これはただの災厄であり、滅ぼすべき魔なのであろうか?


 問いに、グリモアは含み笑い。

 サラサラと頁をそよがせた。

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