第657話 挿話 兵(つわもの)よ、剣を掲げよ盾を押せ 中 ③

 関壁の内側に入る。

 ここからは身改めと書類の確認だ。

 こちらは正式な伝令なので、問題は無い。

 これまで通過したシェルバンの関を元人間ともども焼き払ったのは別にしてだが。

 そうしてシェルバン兵が黙々と規定の手続きをする中、先程からサーレルがうるさかった。

 くだらない挑発をして、お決まりの差別発言をさせようと頑張っている。

 何を目的としているのか、イグナシオには、まだわからない。

 仮に、争わせようとするなら、最初から不意打ちでこの関を襲えと言うだろう。

 争わせ何かを得たいというのなら、何も向こうから仕掛けてきた等という名分をつくる必要はない。

 すべて焼き払ってしまえば、あとはどうにでもなるのだ。

 と、よほど物騒な思考をする彼を知っている筈の相方は、調子良く笛を吹いている。

 しかし、シェルバン兵も関役人も、逆に沈黙を貫いていた。

 賢い選択である。

 相手の見え透いた挑発は、子供ではないのだ、差し出された招待状のようなものだとすぐにわかる。

 さぁほら、ちょっと小競り合いをしましょう、殺し合いましょう、あわよくば関そのものを粉微塵にしてもいいんですよ。

 という脅しを底に忍ばせたくだらない招待状だ。

 招待を受ける必要はない。

 見て見ぬふりをして送り出してしまえば終わりである。

 こんな厄介な者共は、さっさと送り出して終いにしたい。

 と、相手も考えているのだろう。

 公王の伝令を拒否するほど、狂ってはいないというわけだ。

 それも関壁が途切れ、ボフダン側へと続く関内の通路に入ると様相が変わる。

 関の住人が、わざわざ見物に来ていた。

 呆れるほどの危機管理の薄い話しである。

 これにはサーレルも口をつぐんで笑う。

 猫の笑み、馬鹿をあざ笑う笑みだ。

 関の意味が無い。

 よほど田舎者か、愚か者なのだろう。

 関を通過するのが商人や旅人だとは限らぬし、もしやいつもの追い剥ぎでもしていたのだろうか。

 彼らは物見高く集まると、獣人を見たと驚き、次には罵声を浴びせ始めたのだ。

 それにはイグナシオも含めて誰一人、反応を示さなかった。

 何故なら、相手は弱者だ。

 何を吠えようとも相手は、小突いただけで死ぬような人族の民である。

 シェルバンの貧弱な兵士は、生業としてその枠にいないだけである。

 しかし、重武装の中央兵士に罵声とは、何を考えているのだろうか?

 と、イグナシオはとても不思議に思う。

 彼らは何も怖くないのだろうか?

 と、罵声を浴びせていた一人が、獣がいい気になるなという趣旨の発言と共に、石を投げつけた。

 小石だ。

 重武装の兵士に小石を投げても、傷一つつかない。

 なにしろ、金属矢が折れる装甲の硬さだ。

 コツンと軽い音。

 イグナシオが気にしたのは、傍らの男だ。

 ちらりと見れば、満面の笑顔。


 イグナシオが相方の腕を鷲掴みにするのと、シェルバン兵が民を叩き伏せるのは同時であった。

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