第887話 モルソバーンにて 其の七 ④
暑い。
額から汗が滴る。
雨に濡れ、寒々しい外から地下道へと入り、この暑さだ。
体調が悪くなりそうな気がした。
悪臭はない。
ニチャニチャと音をたてる足元。
蟲の音。
花の叫び。
己の息。
混乱の予感。
吐きそうだ。
忘れられずに夢に見るだろうな。
そんな気がする。
言葉は寄り集まった管の柱から聞こえた。
大樹のような太い管だ。
それが天井に向かって聳え、霞んで朧だが天井に繋がっているように見えた。
どこからだと、その根本に近寄る。
太い幹にそって歩くと、少し見上げる位置に顔があった。
巨大な人の顔だ。
大盥ほどの大きさの白い面。
幼児の巨大な顔だった。
それがギョロギョロと目玉をむいて、口を動かしている。
呆然と異様な光景に見入る。
するとそれも私達に気がついた。
ニオイがするよ
ニオイ、ニオイ
ととさま ととさま
おなじおなぁぁああじぃぃいい
おまぁえはぁおまえはぁ
..フォードウィンかえ?
聞いたことのある名に、私は答えた。
『我はヨルグアの子、水妖の子に非ず』
私の答えに、それはニヤリと笑った。
きたね
きたんだね
よるがきたんだね
たのしいね
おわるんだね
もどってくるよ
もどってきたんだぁね
まにあった
まにあった
ととさま
ととさま
フォードウィンの子を
くぅぅうたぁぁ
くろぅうたぁ!
あぁあぁあにじゃぁあにじゃぁあああ
にくぅいにくいにくいにくいにくいぃいいいいい
かかさま?
かかさま
さがしにぃ
あいつらぁそろそろぉ
くうぅてもぉおおおおおおお
いいかえぇぇぇえええ
..あぁ、よる、よるのにおい
においぃだぁ
歯を剥き出すと、ソレは笑った。
『誰が、喰った?』
私の問いに、目玉がぎょろりと睨み下ろす。
カーン達が反応しないのは、異様な姿と言葉ながら、相手から敵意が向けられていないからだ。
きまっておろうぅ
昔からぁ クサイにおいのぉぉぉおおお
あいつらだよぅう
ととさまをぉ
こぉろぉしぃいいたぁああああ
あにじゃぁをぉくろうたぁ
おおがみさまのぉおじひぃをぉおおお
うらぎったぁぁああああ!
あぁにおい
においがする、する
..あぁそう、よるが
ふっと激昂していた表情が落ち着く。
それは私を見ると、笑みを深めた。
よるがくる
よるがくる
ととさまをだました奴らもおしまいだ
ととさま
ととさま
八つにわけられ
さぞいたかったぁはずだ
けれどぉ
ととさまはよみがえる
いくどもいくどもよみがえる
かかさまがいるかぎりぃ
かかさま
かかさま
よるがくる
よるがくる
あにじゃ、あにじゃ
みんな、おぼえているよ
やさしい
やさしいぃぃいい
この会話に、カーン達は困惑していた。
剣に手を置き、油薬を握りしめ、これをどうしたものかと伺う。
『夜が来るとは』
私の問いに、それの目玉が青く濁った。
よるがくる
うらぎりものにも
よるがくる
おのれがしんじつをあらわにする
あけぬ
よるがやってくる
ととさまぁ
ととさまぁ
かえってくるぅ
かかさまぁ
かかさまぁ
くるょくるよぉぉぉ
もういいよねぇ
もうういいよぉ
あぁいつらぁ
あにじゃをくろうて、のろわれた
ぶざまぶざまよぉ
したがいしものどもはぁぁああ
ころしてぇいいよぉねぇ?
言葉とともに、ゲロリと顔の皮が剥ける。
あぁあぁあああああっあぁ
あとぉぉすこしぃい
かかさまぁ
「いくよ。約束だからね
兄者との約束だからね。
必ず、奴らを食い尽くすよ」
と、最後にはっきりとした人の言葉でそれは言った。
そしてズルズルと柱から顔が抜け出る。
長虫のような黒い肉の塊となり飛び出すと、あの山椒魚のような異形とおなじく、四本の手を胴体から突き出した。
「はな が さ く よ」
最後にそう告げると、それは私達に背を向けた。
私は慌てて立ち去ろうとする怪異に向けて問いかけた。
『待って!
オールドカレムの男は何処?
捕まっている、魂の場所を』
それには大きな口を開き、げぇげぇと笑い振り返った。
「アレの邪魔をするのかえ?
そうだね、時間を稼いでくれるなら、それもいいだろう。」
そうかや
そうかぁやぁぁあああ!
ならばぁ くさびをぉおお
きたるよるとおなじくぅうう
しゅごしゃぁとぉお
おなじくぅう
つぶすがぃぃいいいい
くさびぉぉお
「界のつなぎ目を壊すといい」
言いおいて、異形は湯気の奥へと消えた。
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