第888話 モルソバーンにて 其の七 ⑤

 ずるずると這いずり、床の百足を踏み潰す音が遠くなる。

 私達は、無言でそれを見送った。


「この場所を焼けば終わる話ではなさそうだな」


 イグナシオがため息をつく。


「くさび、とは何だ?」


 やっと口を開いたカーンの問いに、苦笑いが浮かぶ。


「何だ?」


 それにイグナシオが呆れたように言った。


「カーン、さすがにそれは無い」

「何がだ?」

「教会か神殿でガキの頃に、一番最初に聞かされる話を覚えていないのか?」

「あぁクソだりぃ、始まりの神の話っていう奴か?」

「覚えていないんだな..」

「お前と違うのはわかるだろう」

「正規軍の座学にも神学はあっただろう」

「面倒くせぇ、初年度教練は全部、剣闘の爺ぃの時間に振り分けた」

「..庶民の方が文字を覚えるのに、神殿に通うか、お前はどうだ?」


 イグナシオの問いに、ザムは肩をすくめた。

 それになんとも言えない表情を浮かべると、イグナシオは私達を壁際に促した。


「あの辺りなら少し息がつけそうだ。

 少し説明する。

 その間に、娘はこれからどうするか考えろ」


 どうするか?

 蟲と蒸気で頭がぼやける。

 先程の怪異の言動の意味。

 言葉が思考の暗い海の中でバラバラに漂う。

 意味、回答はすぐ傍にあるのがわかるし、過去に何か重大な出来事があった事もわかった。

 これは最近の凶事とは別であり、過去、多分、私が生まれる前の出来事だ。

 決定的な情報は渡されていないので、私達は何もわからない。

 ただ、争いがあり、そこに東マレイラの争いや、さまざまな事が重なり合っていて、とても複雑な事になっている。

 厄介なのは、怪異の述べる仄めかしが、思うより重要な事だ。

 と、私、グリモアが判定している事だ。

 内容は、仄めかしであり嘘もあろう。

 だが、先程の話は重要である、覚えておくべきことだと、グリモアは判断していた。

 考えに浸る間に、移動は終わり、壁の凹みへと身を寄せた。

 上下を見回しても、ここだけは奇妙な物体が無い。


「創生の神話には、二つの滅びの時期がある。

 娘が語っていた第四の領域が侵食し、神を喪失した時期だ。

 簡単に言えば、今の人が把握できている、人間の滅びと支えていた神の死の時期だ。」


 荷物から水を取り出すと、皆で回し飲む。

 その合間に、壁をまさぐり異常がないか、粘液が漏れていないかを確認した。

 私はカーンの懐で水を飲むと、視線はあの異形が抜け出た柱に置いた。

 あれは何処に繋がっているのだろう。


「我々の前の時代の人が滅んだ時と、

 その後を支配した神の死だ。

 今を支える我等が神は、その大神の子であり新しい神なのだ。

 前の時代の人を我々は、いにしえの人と呼ぶ。

 彼らが滅んだ時、大神も眠りについた。

 眠りとしたが、死んだ、もしくは去ったという意味でもある。

 人の世は滅び、地には虚無が蔓延る。

 すると新たな神が目覚め、神敵と戦うとされる。

 これが繰り返され次代の人間が生まれるまで続く、これが滅びの時期だ。

 滅びの時期に現れる神の代理人を、守護者という。

 この守護者は、我等が神と使徒と第四の領域から来る獣との両方を指す。


 神と穢れの化身だ。


 そして彼らはひとつの物を巡って争う。

 勝敗を決める杯のようなものだ。

 それが終局の楔と呼ばれる、異形の塔だ。」


 汗を拭い、私達はこの異常な景色を眺める。


「異形の塔は、高く大きく、穢れを生み出す扉だ。これを壊す又は勝ち取り此方のものとする。

 我等が守護者は、楔を壊すか、支配下に置かねばならない。

 多分、あの化け物がいう楔とは、これを想起したものだろう。

 本物があるとは俺でも思わぬがな」

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