第889話 モルソバーンにて 其の七 ⑥
そこでイグナシオは息をひとつ吐くと、忌々しげに口を引き曲げた。
「異形の塔が大きくなれば、それだけ穢れが押し寄せる。
人は生きられなくなり、滅びる。
化け物の言葉の真偽はどうであれ、模倣した何かがあるのかもしれない。
去り際の言葉は、それを壊せという話だ。」
「なら、お前お得意の奴で、元にもどるんじゃねぇのか?」
カーンの言葉に、イグナシオは呆れた表情を浮かべた。
この不信心者が、学びが足りない。とでも言いそうな顔である。
それがわかったのか、カーンは知らんという風に肩を竦めて返した。
「俺達が目にしているのは、娘が目にしている世界だ。
本来なら、見えない。
見えるようにしてもらったから、今、ここにあるだけだ。
ここが現実とは、全く違う世界だと思うか?
きっとここはモルソバーンの地下空間だろう。
俺達は、そこにいる。
きっと蟲もなにもかも無い、真っ暗な中にいるのかもしれない。
もしくは地下墳墓で骨にまみれているのかもな。
そんな中で、ろくろく息もできない場所で、周り中に火を放つ?
いくら俺でも、無駄死には御免被るぜ。
まぁナニかも焼けて、問題解決できるかも知れないがな。
薄暗い穴蔵で、蒸し焼きの俺達の死体もできるあがるだろうさ。
そうだろう、娘?
俺達の現実とお前の現実が重なっている。
別世界に入り込んだわけじゃない。どちらも現実にあるのだろう、違うか?」
(神の徒は鋭いね、常識よりも神の教えを本気で信じている分、領域の概念を理解できているね。)
「襲いかかってくれば、それは現実だろう?」
「幻覚よりも質が悪い。
分かっているだろう?
寝台で眠る氏族長も現実だ。
そしてお前たちが見ただろう、雁字搦めになっている男の姿も現実だ。
幻と思って火を放てば、現実はどうなる?
使用人や氏族長もろとも館が燃え上がっていた、なんぞという話になるのがオチだ。
何を焼くにしても、明確にここだという勘所を押さえないと、まずいという事だ。
見えなくする事が、今はできないようだからな。」
(ふふっ、君が気が付かなった事だね。
そうなんだよ。
見えないモノが見える。
さて、見えなかった場合の、見えるべきものが見えない。と、いう矛盾がでるんだよね。
でも、言っておくよ。
これが統合、融合されると更に不味いんだ。
異なる領域が完全に混ざると、戻れなくなる。
この意味を覚えておいてね。
そうだね。
本当の夜が来たら、君の望まぬ世界になってしまうからね)
「俺、あんまり賢くないんで、どういう事っすか?」
『2つの世界がくっついている。
馴染んで混じり合っている訳ではありません。
まだ、こちらの世界が現実を侵食し尽くして飲み込んではいません。
だから、見えなかった。
薄い膜ごしに、重なっている状態ですね。
そんな場所に、私達は片足をそれぞれの世界に置いている。
見えるとは、そんな一歩踏み出した状態です。
片方はモルソバーンの地下で、闇の中にいるのかもしれません。
ですが私達はもう片方、この異形の世界にも足を置いています。
こちらで何かをすれば、同じことをもう一方でもする事になります。
くっついていると言いましたが、重なっているというのが正しいでしょう。
だから、ここを全部焼き払うと、今見えていない方の場所で、私達は焼け死ぬかも知れません。
何かを行う場合は、慎重にするべきでしょう。』
それにザムは、うーんと唸った。
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