第890話 モルソバーンにて 其の七 ⑦

 わからんというザムに、カーンが補足した。


「アーべラインの体は現実の世界で寝てる。

 だが、中身は化け物の世界に誘拐されちまってた。

 俺達は現実の世界にいるから、見えねぇし探せねぇ。

 だから、見えるようにした。

 だが、見えるからわかるってわけでもねぇ。

 相手もそれが分かってるから、隠してる。

 その隠しってのを取り払うには、楔ってのを壊す。

 そうすりゃぁ邪魔してる物を越えて、迎えにいけるって事じゃねぇのか?」


『異なる領域、この見えているモノの世界と私達の世界がくっついている場所を解いていけば、そうそうこうした異界に踏み込むことはなくなるでしょう。

 麦袋の鼠の穴です。

 齧られた部分を縫い合わせれば、運が良ければ溢れた麦であるアーべライン氏も回収できるかもしれません。』


「運、ですか?」


『鼠に喰われてしまった麦は戻りません。

 そして人として生きていく為に必要な部分を残していなければ、現実に戻っても死ぬでしょう。それが魂だけだとしてもです。

 私達が火をここで放てば、現実でも焼け焦げるのと同じです。

 引き剥がして取り戻しても、死んでしまうかもれません。』


「ここは何なんですかね」


 ザムの嘆息に、カーンは言った。


「なんでもねぇよ。ただの暑くて、きたねぇ場所だ。

 で、楔とやらは何処にあるんだ?」


「真実ならば、すでに只人は生きられぬ。

 早めに真偽を問うて、本神殿へと伝えねばな。

 模倣であろうと思うが。

 だが、これを一度、上に返さねばならんだろう。

 これが死んでは元も子もない。」


『私、ですか?』


「今までどおり、道案内をさせて頓死されても困る。

 何か得体の知れぬ力を使う度に、身を削るというのなら、不要だ。

 祭司長殿の御信頼を裏切る事になるからな。

 勝手に寿命を削られたらたまらん。まぁ今更だがな。

 そうだろうカーン」


 無茶を言う。

 領域を保とうと置いた接点を探さねば、アーべラインが死ぬ。


『少し時間をください』


「オリヴィア」


 盛大なため息をつき、カーンが名を呼んだ。

 そうして、私を向き合わせにすると彼は言った。


「力を使う時、お前は何かを失うのだな」


『いいえ』


「身を削る、命を削るんだな」


『いいえ』


「この先に進む度に、お前は」


『大丈夫、大丈夫ですよ』


「お前が、失うと言うなら、探さなくていい。

 一度戻って、お前は公爵と待っていろ。

 安易にお前を頼った俺が、馬鹿だったんだ。

 どうせいつも通りだ。

 一番汚くて、臭い場所を焼き払えばいいんだからよ」


『私が、私自身が選んでついて行くと言ったんですよ。

 私は、私ができることをする。

 私が決めた。

 それに旦那、この場所の穢れを私自身が見極めたいんです。

 不死鳥の館の時もです。

 私は姫の事を知りたがった。

 潰えた命の理由を知りたかった。

 私がここにいるのは、私がここにいたいからだ。

 ここにです。

 それにね、これぐらいで私は失いませんよ。なにもね。』


 言葉を重ねても、カーンには届かない。

 その瞳は不信感でいっぱいだ。


 よくわかる。

 それは気遣いであり、優しい心だ。

 もっともっと理不尽にふるまっても良い立場なのに。

 中途半端な人だ。

 そして悪人になりきれないのは、人としては悪くない。

 そうだ、悪くない。


『本を読むように、ここの場所にある力の流れを読みましょう。

 なに、これぐらい造作もない事。

 私は、これぐらいで何も失いませんよ』


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