第432話 波路 ⑧

 息絶えようとする彼らの周りには、たくさんの人が集っていた。

 彼らは心配そうに仲間の側に佇む。

 そして巫女を見、命消えようとする仲間を見やり、そして私を。

 私は必死で気付かないふりをした。

 彼らは無念や怒り、激しい気持ちを表してはいなかった。

 無念の感情も、死と共に置き去ったのかもしれない。

 彼らは、とても静かだった。

 あまりにもあたり前の景色。

 彼らの姿はそこにある。

 死者は集い、何ら変わりなく側にいる。

 無惨な死に様にこそ慄いたが、死者はなんら不自然ではなかった。

 だからこそ、怖かった。

 私は怖かった。

 私は、自分が怖かった。

 納得する自分が怖かった。

 あぁ招かれている。

 供物の道は、続いているのだと。

 陽に焼けた男達。

 彼ら海に消えた男達は、仲間の苦しみを案じていた。

 その中でも、特に老いた男が私の耳元で言う。

 当然のように、私に語りかける。


『性根の腐った魔女がいる。

 だから、あんたぁ気をつけなよ。

 今も邪魔をしてきやがるから、誰も言いたいことが言えねぇんだ。

 こんな老いぼれにさえ呪って来やがって。

 奴は、男を喰って操るんだ。

 男を餌にして己が子を養っているのさ。

 だからぁ、自分以外の女が嫌いなんだ。

 心の優しい女が嫌いなんだよ。

 旦那と幸せそうな女を見ると、不幸にしてやろうって卑しい事を考えるんだ。

 あんたが子供で、神様のお使いだったとしても同じだよ。

 俺等の神様が嫌いな罰当たりだからな。

 だから、あんたぁ気をつけなよ。

 少しでも幸せな女を見つけると、不幸にしようとしてくるからな。』


 石段を這い上りながら、少なくとも私は違うと抗弁する。

 私の神は地の底だ。

 そして何より、幸せかと問われても答えられない有様だ。

 でも、そんな事を自覚してどうする?

 つらいと認めてどうする?

 どうもしない。

 どうもできない。

 なのだ。

 あぁもっと冷静に考えなくては。

 この事に関しては、誰も巻き込んではならない。

 わかっているだろう?

 うん、わかってる。

 でも、怖いよ。

 怖いんだ。

 誰にも言えないけれど、怖い。

 ふらついて足を踏み外す。

 中ほどまで来ていたので、落ちながら白い空が視界を過ぎた。

 落ちる。

 だが、叩きつけられる痛みは無く、誰かに抱き上げられていた。


 朝焼けの色が混じる瞳が私を見る。

 冷たい瞳が私を見下ろす。

 冬の空ではない。

 白い、瞳だ。


 カーンは、石積みの壁をひょいと越えた。

 階段ではなく、壁をだ。

 私には難儀な山越えが、男にとってはひとまたぎという理不尽さだ。


「杖もつかずに、何してんだよ。

 それに護衛から離れてどうするんだ、こら」


 説教を聞き流し、表情を消す。

 それから平静を装い水平線を見た。

 冬の海は灰色で、波頭が次々を浜に打ち寄せる。

 湿った海風に晒されながら、私は言い訳を探す。

 だが、そんな都合の良いものは無い。

 せめてもと水平線に目を凝らして口を引き結んだ。

 沈黙は賢い選択だ。

 水平線は霞んで見えない。

 男は波打ち際に向かって歩きだした。

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