第433話 野良猫
高くなった視線、波音。
男の呼吸、足取りに揺れる自分。
不思議と居心地は悪くない。
自分が地上で一人きりになったような気分が消える。
初めて間近で見る海、波、砂浜。
徐々に頭が冷える。
灯りの無い道にいる怖さも少し減る。
人は、わかりあえずとも一人でなければ、何とか取り繕えるようだ。
混乱に両手を置くことができて、初めて頭が少し動く。
私ができる事。
悪意が何処かで育まれているとして、私に何ができるだろうか?
すぐに答えが返る。
何も、できない。
できるのは、選ぶことだけだ。
もうすでに一つ選んでいる。
沈黙だ。
では、それからどうする?
ただ沈黙し聞き流すことはできない。
と、私は次に選ぶ。
するとまた、次の新しい答えが浮かぶ。
最初からできる事は同じだ。
見て、聞いて、知る。
供物は、耳を傾けるだけだ。
正しさを見つける事ではない。
きっとそういう事ではないのだ。
私は、供物だ。
私は、グリモアの主だ。
ただし、力を振るう者ではない。
死者を見、異形を見、そして彼らの言葉を聞く者だ。
できるのは、そうして話を聞き、語る言葉から選ぶのだ。
私自身の道を選ぶのだ。
ならば答えは出ている。
あの場に戻るのだ。
どんなに嫌でも。
寄り集う者達の言葉、願いを聞く。
でも、怖い。
誰かが罪を犯しても、それは私の罪ではない。
だから、その罪を知って傷つき悩む必要はない。
後悔し懺悔するのは私ではない。
と、グリモアの者どもも言っていたではないか。
でも、それでも嫌だった。
手を伸ばす先の答えは、私がひとりぼっちの異邦人であるという証拠ばかりだ。
そこには、誰もいないのだ。
死者と語らい続けるのは、生きる人達から遠くなるという事だ。
でも、それでも、あの怪我人達の元へ、集う人々の元へ戻らねばならない。
彼らが旅立つ前に。
彼らが何を語るか、まだ、わからないじゃないか。
言い聞かせ、水平線を再び見る。
そうでもしないと泣き言が勝手に口から漏れそうだ。
沈黙を選んでも、知らずに済ませるだけの強さも納得できる理由も私には浮かばない。
嘘つきだが、器用に自分を曲げる事ができなかった。
怖気づいているのに、それ以上に自分が納得できない。
「腹が減ったなぁ」
不意にカーンがぼやいた。
大きな身体は燃費が悪いようだ。
「旦那、弁当があるんで戻りましょう」
だいぶ遠くまで歩いていた。
もちろん、のしのしと歩いていたのはカーンで、私は荷物だったが。
「戻るの面倒くせえ、あっちの方に飯屋がありそうだ」
指さした先には、浜沿いに小さな店が並んでいた。
どれも街の中心部にあるような店とは違って、潮風に晒され鄙びている。
「これでも気配りのできる男なんだぜ。ひきつけ起こしそうな顔されながら飯が食えるかよ」
どうやらビミンの遠回しのつもりの回避行動は見破られていたようだ。
考えてみれば、私が気がつくのだ。
カーンが気が付かない訳がない。
「気配り、できたんですね」
「お前、俺にだけ辛辣だよな」
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