第855話 モルソバーンにて 其の三 ⑥
そうして常に最悪の事態に備えた。
正しい事だ。
けれど、それだけ不穏という事でもある。
もちろん、わかっていたことだ。
私達は静かに暗闇の中を進む。
カーン達は夜目がきくし、私もだ。
糸は窓を突き抜け、表の木立へと続く。
どういう仕掛けなのだろう?
グリモアを幻惑するとは、次元が違っているのだろうか?
存在を移ろわせるとは、これが魔導というものなのだろうか?
粗雑な呪術と魔導の違い。
やはり私には、よくわからない。
彼等が語るままとすれば、構造は同じだが素材が違うという事だ。
そして人の理には、決して馴染まない。
本来であれば、これはこの世に無く、理に住まう生き物には見えない。
見えないのが正しい。
無知という正しさは、弱き衆生を生かすのだ。
理の外のモノが害悪ならば、正しく神の摂理により、害悪がこの世に手を伸ばす事はできない。
見えぬからこそ、我々は守られるのだ。
しかし、そこに魔導なる力が加われば、害悪は界を越える。
人が知覚できぬ、脅威になる。
ただし、構造が呪術に同じであるならば、こちらも干渉ができるという事だ。
つまり、こちらの力が上回れば、よいとなるのか?
呪術の方法論。
我らが神の理に在るのならば、何も恐れる事はない。
すべては神の手のひらの上。
信じる者こそが強者となる。
究極、理とは我らが無理を通せば、その道理は我らに道を開ける。
強者が生き残るだけの話だ。
我らが神の遊びに招き入れてしまえば良い。
遊ばぬというのなら、滅べば良い。
我らが条理、我らが理こそが唯一のもの。
と、傲慢に傲然と己を騙せば良い。
結果、幽界のみの話ではなく、これが我らが人の生きる世の理となるのだから、なんとも恐ろしい話だ。
つまり、呪術とは神の統制にある力である。
神が定めた呪術という遊びだ。
その遊び方を熟知していれば、無理な話もこの世の摂理になりかねない。
だからこそ、どのような忌まわしき事々であったとしても、それは人の愚かしさの中にある。
人間の遊びなのだ。
呪術とは人が罪を犯すだけの罪であり、神を越える事は無いのだ。
しかし、魔導は違うらしい。
神を疑う事はしてはならないが、神の力を阻害できるという事、なのか?
我らが神の力の外、我らの生きる世界を崩壊させるモノなのか?
理が破綻するとは、我らが生きる世界が終わる事だと思う。
神が定めの死を曲げるとは、そこに慈悲はないだろう。
(少し整理しようか?
理屈はこうだ。
人は死ぬ定めだ。
その生命は、この世を形作る熱である。
死は定めだが、その熱はこの世を支えるものであり、還るのだ。
人の死は、この世に戻るという事だ。
呪術は、この輪の中にある力だ。
だから、どのように命を奪ったとしても、死は定めであり還るのだ。
しかし、魔導は違う。
魔導は、この輪の外にある力だ。
命を奪えば、死は定めから外れ、還る事ができなくなる。
更に、この世の外にあるかもしれない、違う輪に加わる事も無い。
定めは失われ、還る事もできない。
では、どうなるのか?)
『よくないモノになるのか?』
(よくないモノなんて、この世にはいっぱいあるねぇ。
神はよくないモノなんて、気にしないのさ。
けれど、盗人は駄目だ。
神のモノを盗んではならない。
すべては、この世界を保つために必要だからね。
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