第504話 湿地にて

 新兵、移動組も含めて組まれた教練の中でも、この東で冬に行われるものは不評である。

 南領の湿地帯であれば、泥の海での苦痛は倍増するが、獲物も多い。

 それこそ肉には不自由しない分だけ、野営も楽しくなる。

 だが、この冬のマレイラ湿地行軍では、毒虫もいないが獲物も少ない。

 多いのは、沼地や水場を生息地にする蛇だ。

 それも蚊がわくように冬に出る。

 通常ならば冬眠する時期にあたるのだが、このフォックスドレドの沼地は暖かい。

 泥も水も温度が高いのだ。

 湯気を上げる水面や泥を、団子のようになって蛇が蠢く。


「蛇は何を食べているんでしょう?冬場では虫も少ないでしょう」


 ドロリと粘度の高い泥をかき分け歩く男に聞く。

 この教練では、馬を使用せずに自分の足で歩くのだ。

 まぁ私はあいも変わらず荷物である。

 今に使うべき足が退化しそうだ。


「川も湿地に流れ込んでいるが、この泥の下には温度の高い源泉がある。

 暖かい泥には様々な生き物がいる。

 蚊の季節ではないが、冬眠しない両生類も多く生息している。

 淡水の貝類、蜘蛛、蛇を捕食する小動物と鳥類。

 湿地帯の生物の多様性は、どこも変わらない。

 南部との違いは、大型の肉食生物がいない事だ。

 危険生物に指定するような厄介な生き物もいない。」


 大型肉食生物、つまり野生の動物を相手に苦闘することは無い。

 難易度はそれだけでも格段に下がる。

 南部領土の危険生物とは北や東では想像もできない生き物の事だ。

 人間を溶かすような毒持ちの昆虫。

 それも馬ぐらいの大きさの毒虫ときた。

 聞いただけで怖い。

 触れただけで窒息死するような病を振りまく生き物。

 これも犬ぐらいの蛞蝓ひるが代表格らしい。

 じゃぁ他にもいるんだ。

 草むらに座る事もできない。

 大型として想像するのが、東だと熊である。

 しかし南の大型は、そもそも巨大な砂蟲が基準である。

 帆船より大きいそうだ。

 家屋がすり潰されるというか、町が飲まれるんじゃないだろうか。

 もう、そうなると天災だ。

 攻撃性以前に存在が致死である。

 フォックスドレドの湿地行軍を泥遊びと称するのも頷ける。

 けれどそれを不満とするのが、そもそもわからない。

 訓練への熱が下がる理由が肉?

 危険生物がいない。

 喜ばしい限りだと思うけど?


「南に湿地に限らず、通常、危険生物は何処にでもいる。

 自然の中での軍事行動は、現地情勢のひとつとして常に気を配らねばならない。

 それを考えれば、ここでの訓練は意義がない。

 そう考える者が多いって事だ。

 勿論これは第八に限りだが。」

「第八?」

「中央軍は八つのまとまりがある。

 八の軍団だな。

 その軍団の八番目は、南部獣王支配地域の勢力が多数を占める。

 つまり獣人のみの軍だ。

 事実上の中央軍の指揮序列一位。

 番号とは逆だな。

 そしてその八番目の軍、第八軍を八つの兵団に分ける。

 その兵団の八番目、第八兵団を更に八つに分けた師団の末。

 つまり八の八の八師団が今、ここにいる連中だな。

 大まかに第八と言えば、大型獣人の兵士の事になる。」

「なるほど、訓練にならない理由は、獣人だから?」

「そうだ。

 他種族の者なら、ここでの教練には意義がある。

 だが第八はそもそも他人種の兵士がいない。

 医務官や後方支援、作戦指揮や兵站も含めてだ。

 ここでの湿地訓練は基礎訓練になるかならないかだ。

 疫病、伝染病へ耐性を試すには、加工後、南の密林での教練をしないと意味がない。」

「何だか、怖い話ですね」

「第七から若干の他種族が配置されるが、それも入隊後、伝染病等の風土病対策がとられるが、実際の抵抗値が上がっているかは、初年度の南部教練で試される。」

「いきなりですか?」

「今の軍部の技術なら、別に試す必要もないが、稀にどうしても肉体強化を受け付けない体質もある。

 それにまぁ、伝統でもあるしな。

 南部教練をこなせば、一人前だ。」


 南部地域にいらぬ偏見を持ちそうだ。

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