第538話 挿話 煉獄への道程 ③

 集会場は町外れ、商会のある岬の灯台が見える位置にある。

 倉庫が並び、普段なら人の行き来も無い場所だ。

 それでも町の中心へと続く、本通りの最後がこの場所だ。

 散歩や誰かしらがお喋りの為にやってくる事もある。

 景色も良いし静かであるし、倉庫といっても働く者もいないではない。

 治安を心配する事も無い、至って散歩にも良い場所だ。

 だから、誰かが偶々行き合わせても、おかしくはない。

 ただ不運なだけ、なのだ。

 彼らは町の住人だろう、若い男と女だ。

 私達が男にゆっくりと近づくのと、倉庫の裏道から曲がり出てくるのは同時であった。

 気配を辿れなかったのは不覚である。

 そう、気配を辿れない程、離れていたのだ。

 建物の一区画分、離れていた。

 走り寄るにも二歩でも足りず、跳躍するとは人外の域。

 そうだ。

 男が跳躍したのだ。

 我々も呆気にとられる素早さだった。

 言い訳、だな。

 言い訳だ。

 私とウォルトは、油断していた。

 男はしゃがみ込み、震えていた。

 人族の、それも中年の鍛えてもいない男だ。

 そんな離れた場所へと飛びかかるとは思ってもいなかった。

 近場の我々に襲いかかってくるだろうと踏んでいたのだ。


 不運ではない。


 手抜かりだ。

 手荷物を抱えた男は、何が起きたのかわからなかっただろう。

 最初に女が殴り飛ばされた。

 瞬きする間も無い素早さだ。

 そして何が起きたかわからずに、男の喉笛は噛みちぎられた。


 血飛沫。


 笑顔のままに男は傾ぐ。

 ゆっくりともがき、その表情が驚きに歪み。

 躊躇いなく食いちぎり、深く深く噛むので、恐怖の声は漏れない。


 ウォルトが殴られた女に駆け寄るのと、私が剣を引き抜くのは一緒だった。

 倒れ伏した女は、その一撃で首が捻れていた。

 絶命しただろう。

 それでもウォルトは唸り声をあげて、女の体を引き寄せた。


 檻の中の私は、この出来事に怒りを感じた。

 私を囚える檻も、この出来事を不快に感じた。


 このを、殺せ。

 この不始末を、片付けろ。


 私は、加工を施され、獣化する術を失っている。

 それでも人族の成人男子と同程度の筋力は有していた。


 後始末ぐらいは、できる。


 この出来損ないを、殺せ。

 この不始末を、片付けろ。


 襲いかかっている男に近づく。

 何故か、我々には見向きもしない。


 喰いでのある、なのだ。

 は、あまりのだ。


 檻の呟きを聞きながら、出来損ないに剣をふるう。

 四肢の腱を断とうとしたが、手応えが金属装備のように硬い。

 幾度か振るい、やっと片膝をつかせる。

 それでも意地汚くも獲物を放さない相手の延髄にも刃をたてた。

 浅い。

 そこで一度引き抜くと、突きの構えをとる。

 斧か鉈が欲しい。

 素早いようだが、反撃がないのだ。

 樵で十分だ。


 そうまでして、やっと出来損ないが振り向いた。


 食い物を手に持ち、顔中を黒い血で染めながら、それは振り向いた。

 それは振り向き、私を見た。

 笑う。

 汚い歯を剥き出しにして、それはニコニコと笑う。

 を認め、親しげに笑う。


 罪悪感、悲憤、死にたいと思う心。


 檻が初めて、私を許した。

 許し、私を手放していく。

 私以外のを見つけたのだ。

 嬉々として、私を手放し離れていく。


 出来損ない、の、私。


 義理の息子、ジョルジュ。

 愛する娘、レンティーヌ。

 私の命だった妻の、顔。

 愛する彼女の顔を思い出す。

 思い出せた。

 やっと、思い出せた。


 そしてまだ、、ビミン。

 ビミン、お前だけは生き残ってくれ。


 利き足で踏み込み、突きの一撃を放った。

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