第539話 挿話 煉獄への道程 ④

 何年も鍛錬を続けた突きは、狂いなく喉笛を突き破る。

 すると、突き通った場所から、血管が盛り上がり裂け目を覆うのが見えた。

 それでも剣を保持し、絶命するのを見届ける。

 男は血を零す事無く、静かになった。

 崩折れる男を地面に縫い止める。

 ウォルトは女の死を確認すると側に来た。


「何だぁこりゃぁ」


 絶命した男は、痙攣しながら口から何かを零す。

 血でもなく、体液でもない。

 白い、蛆のような蟲だ。


「おぉい、誰かぁ、油薬を持って来い。早くしろっ!」


 ざわざわと這い出す蟲。

 その数は尋常ではない。

 蟻の巣に水を入れたかのように、数え切れないほど這い出してくる。

 それは小さくキィキィと鳴きながら、私に向かってきた。

 私は、ぼんやりと、それを見下ろす。


 汚いな。

 汚い。


 檻は開き去ったが、枷は残る。

 濁り腐った頭の中に、未だに残る何かが言う。


 罪人は、支払わなければならない。

 償わなければならない。


 蟲は、私の足に触れる直前で燃え上がった。


「下がれ」


 燃え殻が舞う中で、それでも取り戻した自分が言葉を紡ぐ。


「どうして油薬があるんだ?」


 私の問いに、ウォルトが肩を竦めた。


「腐れた東南でぇ死体が歩く世の中だ。

 備えて何が悪いんだ?

 オメェさぁだって、何だぁかんだぁあったって、そうして剣を手放さねぇだろうが」


 言われて、そうかと思う。

 そうか、と思い。

 そうだと納得する。

 私は罰を受けた。

 同族を裏切ったからだ。

 けれど、罰を受けていたが、許されてもいた。

 こうして剣を握る事を許されて、命を取られもせずにいる。

 死んで詫びる?

 己が死んで詫びるのは、卑怯な話だ。

 卑怯、既に卑怯者だ。

 妻は、さぞや怒っているだろう。


「死んで利用されるぐらいなら、焼け死んだほうがいいしよ。

 それぐらいは忘れちゃいねぇだろ?」

「確かに」

「それに死んだら、直ぐに焼かねぇと」


 難破船の船員の事だろう。

 ウォルトの考え方には、濁りも迷いもない。


 死んで焼いたら、さようなら。


 正気の頃に、誰かが言った。

 私とジョルジュと、誰か。


 掴み取ろうとするが、あの頃の記憶は隠れるのがうまい。

 思い出したくないからだ。

 罪と向き合うのが怖い。

 けれど妻の顔を忘れるのは、もう、嫌だ。

 妻の最後を忘れたいから。

 と、彼女を理由にして忘れ、人間としての大切な事柄を亡くすのは、もう終わりにしたい。


「お祖父ちゃん」


 集会所の中から、皆、出てきた。


 ちらりと娘を見る。

 いつも通りの笑顔。


 出来損ないを始末したのだ。

 満足だろう。


 それとは逆に、当然の怯えた反応を見せるビミンをみやる。

 憐れだ。

 家族に恵まれなかった為に、多くの夢も希望も失わせてしまった。

 妻に似た孫の顔を見て、どうにか助かる道は無いかと考える。

 たった一人の孫だけは、助けたい。

 卑怯だな。

 そうだな。


「人族も、狂化するの?」


 ビミンと少年、それに巫女頭は、炎を見て顔を引きつらせていた。


「するわけねぇよ、お嬢ちゃん。

 おい、兄ちゃんよ、役場の人間呼んでこいや。

 商会員も一緒に行くが、オメェが説明しろや。

 こっちの所為にされたら、たまらねぇからな。

 巫女様はぁ、お嬢ちゃんと中に入らっせい。

 ちょくっとぉ面倒な事になりそうだはぁ、巫女様もお気になるとはぁ思いますがぁ、中にいてくんなはい」

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