第35話 血と肉と ②

 剣先を向けると、カーンは中腰のまま向き合った。

 血塗れの姿とは、まだ、距離がある。

 私は頭上を旋回する蝙蝠の動きを追った。

 小刀を左に、右手は革帯から投擲とうてき用の針を抜く。

 吐き気が止まらない。

 胸を塞ぐような冷気。

 目の前の生臭い姿。

 この怪異に、身の危険を感じるのと同じく、爺達が心配だった。

 こんな、こんな恐ろしい目にあっているのか?

 蝙蝠を追いながら、目の端にカーンを置く。

 武器を持った男が勝つと思いたい。

 だが、武器が届かないギリギリの場所を、血塗れのモノが逃げ回る。

 そして歯と爪で掴みかかる隙きを伺う。

 飛びかかれば、カーンはその膂力で相手を押し返し叩きのめす。

 だが、その度に血と肉が飛び散り、酷い有様になる。

 私は頭上の動きと位置を教えながら、そんな男の背後を取ろうと動く。

 だが、そうそう良い位置取りができるわけもない。


(後ろを取られるぞ、娘よ)


 限りなく他人事の言葉。

 それに恐怖よりも怒りがわいた。


 なぜ、こんな厄介な目に付き合わされるんだ。

 どうして爺達を連れてこんな場所に?


 振り返ると血塗れの肉が目の前にあった。


 瞬間、膝を落とす。

 そしてその腕を掻い潜る。

 無意識の動作で、右手を突き出す。

 狩りで接近を許した時の動きだ。

 無心になり、右手首にひねりを加えて突き出し抉る。

 そして素早く慎重に角度を変えずに引き抜く。

 この動きは一息に、走り抜けながら行う。

 首を通すほどは、突き込めなかった。

 骨にあたると厄介だし、人相手は初めてだ。

 不愉快な臭いと感触に吐きそうだが、殺生その事には何ら感慨も無い。


(死者は死なぬ)


 しかし、致命傷にはなったようだ。

 人ならざるというが、白目を剥いて倒れる。


仮初かりそめのことよ)


 嘔吐を堪えているとナリスが続けた。


(上だ)


 私はカーンに怒鳴った。

 間一髪、男が地面に転がる。

 黒い刃は通り抜け、カーンに対峙していたモノへと群がった。

 化け物同士が絶叫をあげ、食い合いを始める。

 仲間というわけではないようだ。

 残り三体が半円を描き、私達を囲んだ。


「きたねぇなぁ、まったく。見る影もねぇ」


 よっ、と、掛け声をかけて、カーンが跳ね起きた。

 見たところ、怪我はない。

 相変わらず、薄ら笑いを浮かべている。


「ちったぁ、言葉が通じるかと思ったが無理そうだな。しょうがねぇ」


 ビチビチと肉に群がる蝙蝠の黒い山から、骨が見える。

 私は口で息をしながら、臭いを逃していた。


「まだ、飛ぶようなら教えろよ」


 そう言うと、彼は手首をくるりと返す。

 慣れた仕草に、滑らかに剣先が弧を描く。

 そうして気楽な様子のまま、三体の異形に踏み込んだ。

 最初に見せた動きとは、比べられない俊敏な動きだった。


 踏み込んだ一歩から加速し、水平にぐ。

 一歩からの剣の軌跡は、傍目にはゆっくりに映る。

 空気に乗るような、ふわっとした動きだ。

 だが、実際は目で追うよりも格段に素早かった。


 3つの頭部が宙に舞う。


 鮮やかで素早いその始末に、遅れて腐肉と血飛沫が吹き上げる。それからやっとの事で、厭な音も追いついた。

 瞬きする間もない。

 斬首の腕前は確認するまでもなかった。

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