第129話 手痕

 

 羊飼いは、羊に耳印をする。

 耳印のある羊を盗む輩、食おうとする獣には、鞭ではなく刃が振り下ろされるものだ。

 この集落の羊には、持ち主の印はあったのだろうか。

 王都に集まる羊の群れの中に、あの集落の人々はいるのだろうか。

 盗み、喰われずに無事だろうか?

 考えると不安だ。

 わかっているのに考えてしまう。

 家財が無い理由も、持ち出したから?

 難民申請をする時に、借財を減らす為に家財を持ち出した?

 ふつうなら理屈は不安を減らす材料だ。

 けれど、信じきれずに嫌な気分になる。

 私は力を抜いて馬に身を預けた。

 己の不安と不穏な気配に、恐怖の種が育つ。

 考えねば良いのだが、性分というものは中々厄介だ。

 墓地を抜け、村の柵を横切り、薄暗い木々へと馬首を向ける。

 道は石畳ではなく、再びの踏み固められた土の道だ。

 馬車が通るほどの広さはなく、人の行き来もないらしい。

 ほぼ自然に帰りつつある。

 それでも立ちふさがるほどの硬い木は蔓延っていない。

 道が消えないことを祈りながら、ゆっくりと進んだ。

 すると程なく、木々の中に白い物が見えた。

 見える限り相当な大きさだ。

 薄暗い木立に白い色が滲んで見える。

 近づくと、それは岩に見えた。

 白と言うには薄い影のような色がついている。

 表面は滑らかで陶器のよう。

 人族の大人の背丈ほどの高さか。

 馬上からギリギリ岩の上面が見える。

 岩?なのか人工の壁なのかはわからない。

 だが、この黒々とした森の中にあると目立った。

 道を進むと、その姿はどんどん大きくなっていく。

 その大きさと手に余る異様な姿に、身震いが奔る。

 そうして我知らず馬の足を鈍らせた。

 それに後続が問いただそうとするのを、カーンが差し止める。

 私は懐から地図を取り出すと広げた。

 簡易な覚書程度の地図には、特に何も記されてはいない。

 村と細い脇道、森と山。

 村が背負う北の山には、大型の獣がいるとの記載はある。だが、それ以外に何の印もなかった。

 そして本来の旧街道の道に戻るには、この心細い道以外にない。

 もし、引き返すとなると本来の街道筋に戻る事になり、今までの行動が無駄になる。

 折角、凍死をさけるべく先んじて稼いだ道のりである。

 戻って出直すのは避けたい。

 如何いかがしたものか。

 私一人だけなら戻れる。

 まぁ戻らないし戻れないのだが。

 私の逡巡しゅんじゅんを見て取ると、カーンが進むと決めた。

 確かに、それ以外にない。

 ただ、何が不安か、先に進むのが嫌な理由を述べるように言われた。

 これもまた、当然だと私は素直に答えた。


「あの白い何かが怖い。

 大きな墓石のようで怖い。

 近寄らぬで済めば、一番良いと思う。

 臆病な事を言って旦那方には申し訳ないが、アレが怖い」


 静かに問われ、普通に馬鹿な返事をした。

 けれど男達は、誰も私を笑わなかった。

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