第598話 夏の空に言葉を喪う ④
心で念じてカーンを叩く。
唸りながらも、彼は動きを止めた。
兵士達も距離をとる。
血の川は未だに流れ、開け放たれた扉の先で消えている。
それでも微かに、微かに何かが変化した。
黄泉の岸辺に立ちながら、私達は異形と対峙する。
これほどの大掛かりな術に干渉した誰かは、何を支払ったのだろう?
『人としての支払いでは、たりなかったろうねぇ』
ここは館にありながら、死者の国に同じ。
吹き荒れるは死、理不尽であれど致し方のない事だった。
だから無惨な末路を迎えたとて、ここにあるのなら受け入れなければならない。
それか、
『同等以上の死者を与えるだけさ、口利き料を支払った分、きちんと約束を守ろうか』
生者を死者に変えずとも、ここにはたくさんの死が残されていた。
死体は、あるのだ。
私は死者の行軍、葬列に相応しい者達を指さした。
『聞こえたようだね。さて、少しお喋りを願おうか。
どうしてこんな有り様になったんだい?
これもちょっとした冗談なのかな?』
グリモアの軽口に、異形は奇妙な身振りをした。
その片手の長い指が忙しなく喋っているかのように動く。
『なるほど、では、いま暫くは役目を果たすがいい』
異形の足もとから小暗い影が立ち上がる。
それは骨の兵士とは異なり、肉を干からびさせた屍鬼であった。
奇妙な装束の死骸は、すこし体を傾けてギクシャクと歩く。
獣人達は距離をとり、武器を構えたままそれを見守る。
屍鬼は、私の指差す左側の扉へと向かった。
時を置かずして、崩れた漆喰の間から、
朧な姿は、幽鬼の王の後ろにと並ぶ。
それを屍鬼と骨の兵士達が隊列を組んで囲んだ。
殺された男たちを見やると、異形は大鎌を戻した。
それから再び私を見る。
冷え冷えとした囁きが、霧となって吹き付けた。
ツミビト、フタタビ ノ アヤマチ
カミヨリ シラシメ、ケンゲンス
ツミビト ノ コ オナジナリ
ヒト、タンガン、モトメ
カミ、ホロボセ ヨブ
フド ヒラカレ
ツミビト ユルスコトナシ。
カミハ ユルサズ
ツミビトノ コ、シュゴ ホロボス
カミ ノガスコトナキ オワリ
クエキヲ、ワカチアウモノ
ユルシネガウ、モノ、ネガイ、キエ
ユエニ、チンモ、キエ
オロカナリ オロカナリ
ツグナウコトヲ セヌ
モーデン オロカナリ ケガレシ、チ
一時の、それでいて長く引き伸ばされた時の中で、異形の姿が変わる。
『さぁ戻したよ、君の願い通りにね』
それは一人の男の姿になり、大鎌は天をつく槍になった。
片手の血にまみれた綱は、罪人たちに繋がる太い鎖に変わる。
鎖の先には、やはり老若男女が繋がれていたが、傷ましい死骸でななく、頭を垂れて立つ姿だ。
異形は青白い男の顔になり、続くは古い装束の兵士になった。
闇は深く漂うが、それまでの血生臭さは消え。
先に消えた靄のように、冷たい霧が漂い始める。
青白い力の配列が足もとに奔り、血の川は消えていった。
私達が身構えて立つのは、崩れかけた館と霧の漂う幻の水の流れの只中である。
夢か現か、それまでの争いが嘘のような静けさだ。
その静けさも直ぐに終わり、開け放たれた正面扉の向こう白い靄が漂う外から、カチカチと音がした。
あの微かな、金の記章が揺れる音と馬の足音だ。
それが聞こえたのか、死者達は音を頼りに踏み出す。
ゆっくりと死者を従えての、鎮護の歩みが再開したのだ。
そうして彼らは外に向かい、あっさりと霞になって消え去っていった。
一夜の宴の、あっけない幕切れだった。
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