第599話 群青色の朝

 どれくらいそうして見送っていただろうか?


 私も含めて、皆の意識が現実と結びついたのは、相当時間がたってからだ。

 戦いは、波がひいたかのように終わり、我々は取り残されて立ち尽くす。

 決着もつかず、原因もわからず。

 ただ呆然と見送り、皆が痺れたように固まっている。

 私はと言えば、せり上がる吐き気に息を詰まらせていた。

 現実は苦しく無様である。


「オリヴィア!」


 盛大に吐き出し、床に吐瀉物を撒き散らした。

 自分でもぎょっとするほどの量と色。

 汚い話だが、体中の血を吐き散らしたのかと思う程、赤い。

 きっと水分と混じって、元の出血よりも派手になったようだ。


『いや、顔色も真っ青だし、君、死にかけたんだよ』


 だが、生きている。

 心臓も痛まぬし、大事無い。


『いやいや、確かに大切な部分は僕たちが修繕したけどね。

 君、大きな血管が破れたんだよ。

 本当なら、死んでるんだよ。

 目が回っているのは貧血。わかってる?』


 それが合図になったかのように、皆が、というよりカーンが慌て動いた。

 大量の赤い色に驚いたようだ。

 出血は体感としては大丈夫、だと思う。


『止血はできてるよ。

 今回の支払い分だけ、損傷も治している。

 反動もあるから、暫くは養生だ。

 小さな君が血を吐いた。

 獣人でもない子供の君が吐いたんだ。

 ほら、皆の顔を見てご覧。自分が愚かだったと認めなよ』


 愚かであるのはわかっている。

 だが、後悔はしない。

 巻き込んでいるのは私だ。


『僕達と議論をしたいのかい?』


 否、今はいい。


 カーンが荷物の置かれた墓守の部屋へと走り、衛生兵をと怒鳴る。

 それに痛みも寒さも消えた私は、大丈夫だと言おうとした。

 言おうとして、声を失った事を思い出す。


 そうだ。


 すべて頭の中で喋っていたのだ。

 まぁ声ひとつで生き残れたのだから、良しとする。

 兵士達も皆、無事だ。


『君ってさ、大雑把だって言われない?』


 ***


 夜明けだ。


 今日は霧もなく、風もない。

 相変わらず雨が今にも降りそうだが、気温は北に比べれば暖かな方だ。

 昨夜は、あの後は何もおきなかった。

 こうして無事に朝を迎えている。


『無事、ねぇ』


 こちらの損耗は、武器を駄目にしたカーン以外、気にするほどの事もない。

 天井が抜けた玄関広間で、屋敷の瓦礫を燃やしながら朝を迎えた。

 私は真水で喉を洗いお茶を飲まされる。

 エンリケがいれば診てもらうところだが、本格的な診断は城塞に帰ってからだ。

 まぁ診てもらったところで、私は元気だ。


『だから』


 黙れ。

 抱えて走り出そうとするカーンを引き留めるだけで疲れた。

 これ以上の面倒はごめんだ。

 衛生兵も触診だけで、口蓋の傷の出血が嘔吐物に混じったのではという話で、深刻な影響はわからないと言う。

 まぁわからないし、私は元気なので大丈夫。

 喋れないが、水分も取れるし厠にもいけた。

 下血も無いし、痛みもないし、触診でも痛くない。


『まぁ僕の診察でも大丈夫だけどね』


 ほら、王国医ボルネフェルト公爵のお墨付きだ。


『君は重度の貧血だ。

 体温低下も著しい、もうすこし下がっていたら意識が無くなる。

 死ぬって意味だよ。

 だから体を温める。

 水分をとる。

 今直ぐ暖かい布団で寝る。もしくは糖分を補給しなさい。

 と、王国医の僕の診断だよ。

 傷そのものは修繕したけれどね、君はまだ、人間なんだから。』


 今、私は焚き火の側でお茶を飲んでいる。

 カーンがやっと側を離れたので、お喋りに興じているわけだ。


『心配し過ぎて、怒り狂っているよ。で、伝えないのかい?』


 結局、声を失ったことは、伝えていなかった。

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