第850話 モルソバーンにて 其の三
『アーべライン殿は、ここにはいない』
「中身をどこかに引っこ抜かれたって事か?」
『そうです。
彼の魂、意識は、何処かに閉じ込められている。
だから目が覚めない。』
「どんな具合に見えるんだ?」
『地獄だ』
カーンは眉をひそめた。
『旦那』
「おう」
『彼を一緒に見てもらっても、いいですか?』
「かまわねぇ、見えるなら俺も見たい」
指を手放し、改めて両手を差し出す。
それをカーンはそっと両手で包んだ。
私は、もう一度、目にいれる勇気がもてない。
だから、アーべラインを振り見るカーンの顔を見ていた。
「あぁ、こりゃぁ地獄だな」
カーンにも、もう一つの現実が見えたようだ。
「どういう事です、彼女は何と?
何があるんです?」
「ちくっとばかり、厄介だぜ公爵閣下。
暫く、状況が読めるまで、生きて口の聞ける人間のお調べを先にしねぇと拙そうだ」
アーべラインは、寝台に横たわっている。
もう一つの現実でも同じだ。
けれど、そこは地獄だ。
彼は全身を真っ白な糸に包まれていた。
糸は毛羽立ち、アーべラインの口は絶叫の形に開いている。
彼は常に呻いていた。
(苦しい、苦しい、くるしぃ..くる.ぃぃ)
(痛い、イタイ、いたい..いたぃ)
彼はずっと叫んでいる。
神を呼ぶには疲れ果て、もう、助けてと彼は言わない。
ここにあるのは器。
魂は何処かに隠されている。
弱りきって死ぬように、地獄のような場所に捉えられているのだろう。
引き剥がされた魂の尾が、ここに口を得て悲鳴をあげているのだ。
『器を殺しても、魂は救われないでしょう。
早く魂を探し出して取り返さなければなりません。
彼の魂を探し出さねば、この苦しみは終わらないでしょう』
「何処にいるか、わかるか?」
私は手を握り返した。
「あぁ、そうか」
アーべラインを捕らえた糸は、一筋外に伸びていた。
地獄への道案内である。
***
アーべラインの一族は、気が狂っていた。
人別を照らし合わせると半数が失踪、残りの二分の一が原因不明の死だ。
残る少数は、言動が異常すぎて話にならない。
公爵の表情が仮面のようになった。
モルソバーンにコルテス兵の姿は無い。
街の防衛は、民が苦肉の策として自警団を組織していた。
幸いなことに街の住民の暮らしは一応保たれている。
それでもエンリケは、早急に民の健康調査が必要であるとした。
彼が注目したのは、変異体に準ずる変容例の出現だ。
凶暴性を発揮した暗緑色の外套の男、彼等は何れもアーべラインの官吏と名乗った。
どういった経緯で官吏に据えられたのかは不明。
ならば身元も不明と思いきや、住民の証言から、この者達がコルテス人である事は確かのようだった。
証言によれば、ここ数年の間に人格と容貌が著しく変化したと言う。
それもあまりよろしくない変化である。
まぁ人物評は個人の主観もあるだろう。
思想の偏向はありえる話だ。
しかし、容貌が成人後に著しく変化する長命種はいない。
では変異体なのか?
変異体のような知能低下は見られず、容貌も変異体よりも元の姿を保っていた。
人を喰らわず、表立っての暴力は無く、どの程度の脅威か不明。
単なる造反者であれば良いが、変異体の汚染がコルテスに広がっているようならば、今回の事事の筋書きは変わるだろう。
つまり、変異体との関連を否定できなければ、コルテスにとっては致命的な話であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます