第741話 俺は変わったか? ⑭
影をよく見ると、黒いモノは規則的に蠢いていた。
そして封印をしていた紙も、美しい波状の光りを放っている。
いずれも性質は違えど、動きは一定だ。
光りは影を寄せ付けず、そして影も光りを避けながら動く。
『魔導も我らに手を伸ばせば、我らの神の
紙に宿る力を見る。
紙には神官が記した警告と封印の言葉が書かれている。
それは私の署名により開封されて消えていた。
今輝きを残しているのは、紙に与えられた神性である。
清めた紙に精霊語の力を描いて封印していた訳だ。
残る紙そのものには、それよりも更に単純な神性、清めの意味が込められている。
陽の光りと風だ。
だから文字通り紙は光りを放ち、善き微風が漏れていた。
『神殿長の清めの神言だね。
あの子は学者だから、言葉遊びが大好きだ。
最小の言葉で最大の効果。
常に左右対称、均一にもこだわる。
美を探求し、我らの好む円環を描き切る。
つまり調和を知っている。
彼が例え善性を失っても調和を描く限り、神も見捨てはしないだろう。
君も知っての通り、我が神は一味違う。
善人を愛しているのではない。
苦しみ生きる者を愛しているのだからね。
悪逆が理由とはならない。
己が払うべき対価、犠牲を他者に押し付ける者を愛さないだけさ。
例え、弱き善人であろうともね。
あぁごめんごめん、ちょっとばかり説教臭い事を言ってしまったね。』
傍らの男が舌打ちをする。
どれが伝わり、どの言葉が伝わらぬのかわからない。
気をつけねば。
『大丈夫さ、僕たちは君の味方さぁ』
場合によってはだろう。
まぁいい。
彼らが言う調和が重要だって事だ。
考えを整理しよう。
この漏れ出したモノは、既にオルタスの理に従い蠢いている。
つまり、
オルタスにあるモノとして顕現をしているのだ。
ではこのモノをさらなる調和、無害にまで落とし込むにはどうすればよいのか?
我が力が言うところの、言葉遊びだ。
不用意に未熟者の私が手を出し、溢れかえったモノ。
この世の異物。
異物、理の外のモノと考えたが、我が力が言うには既に神へと恭順を示している。
繰り返すが、これにも調和を求める事が可能なのだ。
異物、人に害を与えるモノ。
例えば、これは樹木の影にも見える。
草木でいえば、毒だ。
では自然の理の中での毒の役割とは何だ?
毒とは、その生き物を守る盾である。
盾、殻、守護。
恐怖と怨嗟、苦痛を撒き散らすが、これは守りなのか?
フォードウィンの双子。
この世に無意味な事など無い。
それは表であり裏だ。
眼の前にまで枝葉を伸ばす蠢くモノに指を触れる。
恐怖の感触だ。
悲鳴。
命乞い。
助けを呼ぶ声。
掻き分けていく。
漏れ出す人の苦しみと絶望。
圧倒される汚臭と醜い死に様が過る。
吐き気を催す極彩色の景色が一瞬で過ぎる。
鋭い絶叫。
狂気。
だが、それは偽りの盾。
人の理の中にある。
目を凝らす。
見つめる。
泣き声。
子どもの泣き声。
父を母を呼ぶ声。
黒い点々とした蠢くモノがざわざわと力を変える。
現実には室内は軋みをあげ、カーンも箱から漏れ出すモノを凝視している。
けれど軋みをあげ、室内が荒れていると言うのに、私達以外の二人は何も感じていないかのようだった。
カーザは床に転がっていく筆記具を目で追っているが、ぼんやりとし。
バットは動じず、寧ろ私達を胡乱げに見るだけだ。
見えないから?
『違うよ。
見ないだけさ。
さぁ調律を続けるんだ。』
調和とは完全なる自然。
死も恐怖も、そのひとつに過ぎない。
過ぎ去るものだ。
虚仮威しの児戯に惑わされるな。
恐れるなかれ。
これは実を守る殻だ。
魔導より導かれた毒ではあるが、配列は呪詛に同じ。
言葉は調和を描く。
殻は手出しする者に毒を返す。
報復は相応しき者へ。
当価値の罰を与えるには、罪人を知らねばならず。
対する者をうつすは何だ?
鏡だ。
簡単な言葉がカチリとハマる。
見つめ続けるとソレは鏡になり、人の顔になり、そして調和を得て円環を描く。
影の枝葉はスルリと箱に戻った。
不意に圧力が下がったのか、部屋を軋ませていたモノは失せた。
白昼夢は消え去り、痕跡は砕けた硝子の文鎮だけである。
砕けた硝子の文鎮を、カーザはぼんやりと見つめる。
そんな彼女が、この出来事を認める事ができるかは怪しいものだ。
と、グリモアが呟いた。
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