第210話 水底の鼠
調子はずれの歌が闇に溶け消える。
エリとしっかり手を握りあうと、私は腹に力を入れた。
進めば進むほど、嫌な気配が増していく。
案内の先、かすかな
何の気配か得体の知れない大きな何かを感じる。
それでも腐れた男についていくと、壊れた扉に行き当たる。
打ち破られた扉が、
その先の闇からは、水の流れる音と風の流れ。
そして空耳とは思えない、人の断末魔も聞こえる。
風に乗り、絶叫とうめき声が微かに、ほんの微かに耳に届く。
長く意味の無い言葉が尾を引き響く。
だが、それよりも恐ろしい音が耳に残った。
断末魔を
野生の獣の声ではない。
もっと大きく、もっと自然に大気を震わせるものだ。
嵐や火山、地の揺れのような何かだ。
それを聞くと、人としての本能が足を止めさせる。
けれど、ゆらゆらと揺れる灯りは、扉を潜り先に進む。
通路の先には、水路が広がっていた。
明らかに、階上の館とは作りが違う。
先を行く男を追いながら、慎重に歩く。
方向感覚は鋭いので、帰り道は迷わない自信はある。
複雑に広がる水路を記憶しようと、油断なく辺りを見た。
赤黒い手痕は見えない。
赤い色は無い。
通路を流れる水は濁っていた。
けれど赤くは無い。
緑と黒、大凡飲水の色ではない。
その時、よりはっきりと振動を感じた。
後から後から吹き付けるような、空気を震わせる大きな咆哮だ。
腐れた男はよろけ、私とエリは棒立ちになった。
一番近いのは、熊の威嚇する鳴き声か?
否、それよりも長く、痺れるようにすべてを震わせる滝の音か?
生きてきた中で聞いた事も無い、生木が裂けるような高い音も含んでいる。
はたして、生き物の声なのか。
薄暗い通路には生き物の気配も、そのような鳴き声の
直ぐ側で聞いたと思ったが、その主は遠くで鳴いているのだ。
位置を変えたのか、徐々に咆哮が遠くなる。
「何の鳴き声だ?」
腐れた背中に問う。
『はやく、いかねぇーとなぁ
上にぃでちまうな。
いまさらだがよぉー、おれはぁーこんなつもり
じゃぁなかったんだよぉー』
「エリカ、ごめんな、ありがとうな」
あぁ、と私は気がついた。
問には答えず泣きながら、エリだけに
謝らなければならない事があるのだ。
シュランゲの出来事だけではない。
エリは腐れた男を睨む。
睨みながら、ちょっとだけ口元を緩めた。
いいよ、いいんだよ。と、言う感じで。
本当に怖いのは、死した者ではない。
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