第211話 水底の鼠 ②

 水の流れの側を進む。

 古い水路に古い文字。

 数字と方角、多分、そうだと思う。

 次に歩みが止まったのは、再びの咆哮。

 その後、通路の奥から誰かが走ってきたのを認めてだ。

 数人の武装した男達。

 あちらも、私達を認めたのか、ぎょっとして蹈鞴たたらを踏んだ。

 薄汚れた服に、赤い色。

 ぎらつくまなこに、手には武器が握られている。

 角灯をかざし、腐れた男がわらった。


『ひとごろしぃのまぬけめ、もうすぐぅオレとおなじにぃなるぜぇぇ

 さぁーて、ぐぅれごーあ

 おまえぇのウソとあのアバズレのウソ、どっちが勝ったかみせてぇくれるぅかぁ?

 かみぃさまはぁお慈悲をくれないぜぇ

 ウソつきのクズといっしょにぃ、オレといっしょにぃ

 ムラのみんなぁといっしょにぃ

 おどるんだよぉ』


 先頭の男は、唸り声をあげた。

 グーレゴーアと呼ばれた男の顔は、朽ちぬ男にそっくりだった。


「黙れ、黙れ、だまれぇぇぇえ!

 死人しびとは墓場に帰るがいい!」


 と、男は、剣を振り上げた。

 距離はある。

 だが、私とエリは後ろに下がった。

 腐れた男は嗤いながら、彼らに近寄った。

 それに一緒にいた男達は逃げ出した。

 正気なら、腐れた死体が近寄ってくるのだ、大の男でも逃げるだろう。

 だが、錯乱しているのか、グーレゴーアは剣を手に襲いかかった。


『なぁ、幼なじみのぉよしみだぁ

 いいことぉーおしえてやるよぉ

 なぁなぁ』


 大きく振りかぶった剣が、音をたてて腐れた体に入る。

 刃は腐った肉を削ぎ落とし、骨にかたく食い込んだ。

 剣を引き抜こうとする男に、腐れた男は囁いた。


『ばばさまぁのぉけっかいぃ

 といてくれたよぉ

 おまえはやっときがついたぁ

 ておくれだけどなぁておくれだぁ

 だかぁらぁ、とびらはぁひらいているのさぁ

 まぁにげられねぇけどなぁキシぃヒヒヒ』


「自分で手をくださねば、罪ではないと思うか?

 兄を殺し、実の娘を知らぬとは殺し、それでも自分は罪を犯していないといえるか?

 自分は無実だと、婆様に言えるか?

 否、我らの神に、言えるのか?

 グーレゴーア、我が友よ。

 我らが血族に、神の子に、言えるのか?」


 腐れた男は、背後を示した。

 私とエリを。

 言葉に動きを止めた男は、ゆっくりと腐れた姿の後ろを見る。

 私を見、そしてエリを見た。

 滑稽な彫像のように大きく口が開く。

 男にしてはか細い悲鳴だ。

 情けない悲鳴をあげて、武器から手を放した。

 腐れた死体に襲いかかったのに、小さな子供の姿に悲鳴をあげる。

 聞こえぬ罵倒を浴びたように、男は震える両手で耳を塞いだ。

 もちろん、エリは何も言っていない。

 それに彼女は、とても悲しい顔をしているだけだ。

 あぁ知っているんだな。

 彼を知っているんだな。

 と、私は思った。

 ひぃひぃと喚きながら、男は逃げ出していく。

 来た道を走って逃げて、闇に消えた。

 刺さった剣を引き抜きながら、腐れた男は歌った。


『これでぇあの女もごしょうたいぃ』


 引き抜いた剣は、無造作に流れに捨てた。


「あれがレイバンテールか」


 剣を捨てると腐れた男は答えた。


『ただぁのまぬけ、どぶねずみさぁ』

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